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欧州特許庁における、明細書を許可クレームに適合させるための補正の要件の動向

 欧州特許出願の明細書を許可クレームに適合するように補正することを要求する欧州特許実務に関し、複数の審判部の決定(以下「審決」と記します)を踏まえて、20223月に審査ガイドラインが改訂されましたが、審決間の見解の相違や、審判部の見解と審査ガイドラインとの不一致があるため、今後の拡大審判部への付託の可能性や審査ガイドラインのさらなる改訂の動向が注目されます。
 (本文中で引用する欧州特許条約および施行規則の関連条文については、添付の「参考条文日本語訳」をご参照下さい。)

1.概要
 EPOの実務では、長年にわたって、欧州特許出願の明細書を、許可されたクレームに適合するように修正することが要求されてきました。したがって、出願のクレームが審査の過程で保護範囲を狭くされた場合、EPOは、補正されたクレームの保護範囲を反映するように明細書を補正することを要求します。明細書における発明の説明がクレームされた発明の保護範囲を超える場合、あるいはクレームされた発明と矛盾する場合に、クレームされた発明が不明確になるというのが、EPOの見解です。
 EPOは2021年3月施行の改訂審査ガイドライン(以下の項目「3.(1)」で改めて説明します)では、厳格なアプローチが採用され、その結果、明細書に大幅な変更を加える必要があることから、特許出願人に追加の負担をもたらし、補正がクレームの解釈と保護範囲に与える影響に関する懸念を引き起こしたため、実務家から批判を受けました。
 2021年12月16日の審決T1989/18においてEPO審判部は、欧州特許出願の明細書を補正クレームに適合させることを要求することについて、EPCの法的根拠に疑問を投げかけました。この審決により、EPOが現在採っている厳格なアプローチが緩和されるのではないかという希望が生まれました。その一方で、いくつかの新たな審決がEPO審判部から出されました。その中には元の審決T1989/18を支持するものもあれば、それを疑問視するものもあります。EPOは、審決T1989/18が出された後、審査ガイドラインを改訂し、2022年3月1日付で施行しました。EPOはまた、専門家のワークショップの結果を踏まえて、2022年7月に、補正クレームへの明細書の適合の問題についてこれまでの厳格なアプローチを改めて支持する見解を示しました。
 以下、関連する審決や、審査ガイドラインの改訂を含むEPOの取組をより詳細に説明し、この問題に関するEPOの動向を概観します。

2.EPO審判部の審決
 (1)20211216日の審決T1989/18
 審判部3.3.04による審決T1989/18は、明細書がクレームの保護範囲を超える主題を含むことを理由として欧州特許出願を拒絶するという審査部の決定に対する審判に関するものです。出願人は、欧州特許条約(EPC)は、クレームが明細書の特定の主題をカバーしていなくても、そのような主題を明細書から削除することを要求していないと主張して、審査部の拒絶に対処するために明細書を補正することを拒否し、審判を請求しました。
 審判部は審判請求人の理由付けにに同意し、明細書の記載が補正されたクレームに十分に適合していない場合に出願を拒絶する根拠となり得る、いくつかのEPCの規定を検討しました。
 審査部が補正クレームへの明細書の適合を要求するために頻繁に引用するEPC第84条([参考条文1]参照)は、クレームに関し、「明確かつ簡潔に記載し,明細書により裏付けがされている」ことを要求していますが、明細書がクレームの保護範囲を超える主題を含むことを禁止するものではありません。
 EPC第69条([参考条文1]参照)も、出願または特許が満たすべき要件を規定しているわけではなく、欧州特許によって付与される保護の範囲のみに関係するという理由で、法的根拠とはならないと判断されました。EPC規則42(1)(c)「明細書の内容」および規則48(1)(c)「禁止事項」([参考条文2]参照)も審判部によって検討されましたが、法的根拠とはならないとされました。
 これらの条文を根拠として審判部は、クレーム自体が明確であり、明細書によってサポートされている場合、それらの明確性は、クレームの範囲外にある明細書の主題によって影響を受けないとの判断を示し、審判請求人の主張が認められ、審査部の決定は破棄されました。
 一部の実務家と欧州特許出願人は、クレームへの明細書の適合に対するEPOの厳格な要件が緩和されることを示すものとして、この決定を歓迎しました。EPO審査部における実務がこの決定に従って変更されるとすれば、明細書を補正されたクレームに適合させるために必要な作業が少なくなり、明細書が多くの実施形態と実施例を含む特許出願にとって、費用が削減されることになります。
 (2)その後の審決
 (i)審決T1444/20
 2022年初め、EPO審判部3.3.01は、その審決T1444/20で、審判部3.3.04がその審決T1989/18でとった見解を支持しました。
 審決T1444/20では、特許付与前の明細書からクレームのような形式の記載(claim-like clauses)、すなわち番号付けされたパラグラフまたは実施形態を削除することを出願人が拒否した場合、EPC第84条に基づく出願の拒絶につながるかどうかに焦点が当てられました。この審決の事例では、クレームのような形式の記載とクレームとの間に大きな矛盾は存在しませんでした。
 審判部3.3.01は、クレームのような形式の記載が「発明の特定の実施形態」として説明されていたとしても、それらが明細書の一部であることは明らかであるため、クレームと間違われることはあり得ず、さらに、明細書にそのような記載を含めることがクレームの明確性に影響を与える理由はないものと判断しました。その結果審判部は、審決T1989/18における理由付けに依拠して、クレームのような形式の記載は削除する必要がないと認めました。したがって、審決T1444/20は、その時点での審査ガイドライン(2021年3月施行)と一致していなかったことになります。最近の審査ガイドラインの改訂の推移については、以下の項目3で改めて説明します。
 (ii)審決T1024/18
 その一方において、当事者系(すなわち、異議申立)手続において、上述の審決T1989/18、T1444/20とは異なる多数の決定が下されました。たとえば審決T1024/18,4においてEPO審判部3.2.06は、EPC第84条は、クレームの「明確性」、「簡潔さ」、「明細書による裏付け」の要件について階層的に順序付けられているわけではないことから、明細書の記載におけるクレームのサポートは、クレームの明確さに従属する要件ではないため、明細書とクレームとの間の不一致がクレームを不明確にしないとしても、そのような不一致は依然としてサポート要件に違反する可能性があるとの判断を示しました。
 またEPO審判部3.2.06は、EPC第84条に規定する、「クレームは……明細書によって裏付けられているものとする」という要件を、明細書の記載が「一部だけでなく全体にわたって」クレームと一致している必要があるものと解釈しました。

3.最近の審査ガイドライン改訂の推移とEPOの見解
 (1)20213月施行の改訂審査ガイドラインについて
 現在施行されている審査ガイドラインの改訂前の、2021年3月施行の改訂審査ガイドラインでは、そのPart F-IV,4.3(iii)において、クレームの範囲外にある実施形態について、削除するか、あるいはクレームによってカバーされないことを明記する必要があると規定されていました。
 2021年3月改訂の審査ガイドラインのPart F-IV,4.3(iii)については、弊所ホームページの外国知財情報レポート(2021-4月発行)(下記URL)の「EPO審査ガイドラインの改訂」の記事において、詳細に説明しています。
              https://www.fukamipat.gr.jp/wp/wp-content/uploads/2021/04/f_202104.pdf
 さらに、2021年3月施行の改訂審査ガイドラインのPart F-IV,4.3(iii)の修正点の一例について、下記「情報元4」より引用したものを、「審査ガイドライン改訂関連補足」として添付していますので、ご参照下さい。
 (2)20223月施行の改訂審査ガイドラインについて
 20223月施行の改訂審査ガイドラインのPart F-IV,4.3(iii)では、上述の審決T1989/18を受けて、前年改訂の厳格な基準が多少緩和され「補正により独立クレームの主題と整合しなくなった実施形態は明細書から削除、又は保護を求める主題に該当しない旨を明記しなければならない」という規定に変更されました。
 改訂後のPart F-IV,4.3(iii)には、クレームの主題と整合しないと判断される場合の具体例が示されています。例えば、クレームには記載されていないが、独立クレームの保護範囲に包含されるさらなる特徴を含む実施形態は、クレームと矛盾しているとはみなされません。
 この改訂審査ガイドラインの改訂内容における注目すべき事項として、下記「情報元5」では、次の点を挙げています。
 (i)実施形態がクレームと一致するかどうかについて疑いがある境界線上のケースの場合、疑いの利益は出願人側にあります。
 (ii)さらに、明細書とクレームの間の不一致により出願を拒絶する前に、審査官はそのような不一致の少なくとも1つを例示しなければなりません。
 (iii)例えば、「クレームの保護範囲に包含されない実施形態は、発明を理解するのに適した例としてのみ考慮されるべきである」などのように、明細書のどの部分かを示すことなく導入される一般的な免責的記載によりクレームとの矛盾を回避することは認められません。
 (iv)明細書において「実施形態」や「発明」などの言葉を単に「開示」や「例」などの言葉に置き換えたとしても、クレームとの矛盾を回避しているとは認められません。
 (v)以前と同様に、クレームのような形式の記載は明細書から削除または修正する必要があります。改訂された審査ガイドラインでは、何が「クレームのような形式の記載」を構成するかについての詳細に説明されています。
 したがって、この改訂審査ガイドラインは、上記項目「2.(2)」で述べた審決T1444/20において、「明細書中にクレームのような形式の記載が含まれていたとしても、それらが明細書の一部であることは明らかであるため、クレームと間違われることはあり得ず、クレームの明確性に影響を与える理由はない」ものと判断した審判部の判断とは一致していません。
 この点に関して、審判部は、審査ガイドラインが「クレームのような形式の記載が明確さの欠如を引き起こす可能性がある」と述べており、そうではない可能性もあることを認めているにもかかわらず、そのような記載は常に削除を要求される点で、審査ガイドライン自体が矛盾していると述べています。次回のガイドラインの改訂で、この点がどのように扱われるか興味深いところです。
 2022年3月施行の改訂審査ガイドラインのPart F-IV,4.3(iii)に記載の、補正に関する具体的事例について、下記「情報元3」より引用したものを、「審査ガイドライン改訂関連補足」として添付していますので、ご参照下さい。
 (3)EPOの見解
 2022年3月施行の改訂審査ガイドラインにおいて、上述のように審決T1989/18を踏まえた若干の変更はあったものの、2022年7月、EPOは、明細書の適応に関する2022年6月の専門家ワークショップの結果を踏まて、許可クレームへの明細書の適合の要件に関するEPOの従来慣行が支持されたことを表明しました。その中でEPOは、明細書が補正されたクレームと一致しなければならないという通常の慣行を明確に支持しました。EPOはまた、国内手続におけるクレームの保護範囲の解釈に関するEPC第69条(1)とも関連すると述べています。すなわち、審査ガイドラインに沿ってサポート要件を満たすことは、明細書の記載に起因してクレームの保護範囲の解釈が分かれることを回避することにつながり、特許付与後の国内手続きの法的確実性を有効に確保するとの見解を示しています。

4.実務上の留意点
 上述のように、審決T1989/18は、他のEPO審判部およびEPO自体からの抵抗に直面しています。審決T1444/20のみが、審決T1989/18で表明された、明細書の記載の補正されたクレームへの適合を要求する法的根拠がEPCには存在しないという考えに従いましたが、審判部によるその他の決定は審決T1989/18に同意せず、EPOは最近の声明で、審決T1989/18に従っていない現在の慣行を支持しました。
 このようなEPOの見解は、審決T1989/18が出されてから十分な時間が経っていないことが要因かもしれませんが、明細書の許可クレームへの適合に関するEPOの厳格な要件と慣行がすぐに変更される可能性は低いと思われます。審判部の相反する決定が存在する場合、EPCの統一的な適用を確保するために、審判部またはEPO長官のいずれかによる拡大審判部への付託につながる可能性があります。しかしながら、現時点ではそのような取り組みはされていません。
 このような状況に鑑み、少なくとも審査ガイドラインが根本的に改訂されるまでは、引き続き補正された許可クレームの保護範囲に適合するように、明細書を補正する必要があり、補正に際しては、審査ガイドライン最新版の規定に沿った対処を行なう必要があるものと言えます。
 また、関連する事項についての拡大審判部への付託や、審査ガイドラインのさらなる改訂について、実務に適切に反映できるように、その動向に常に注目しておくことが望まれます。

[情報元]
1.Hoffman Eitle QUARTERLY (September 2022) “Amendment of the Description Before the EPO: An Update”
https://www.hoffmanneitle.com/news/quarterly/he-quarterly-2022-09.pdf#page=17
2.Hoffman Eitle QUARTERLY (March 2022) “Amendment of the Description: Is It the EPO’s Guidelines That Require Adaptation?”
https://www.hoffmanneitle.com/news/quarterly/he-quarterly-2022-03.pdf#page=9
3.JETROデュッセルドルフ事務所「欧州特許庁(EPO)、2022年3月1日に発効予定の改訂審査ガイドラインについて、ドラフトを公開、意見募集を開始」(2022年2月3日)                                                                    https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Ipnews/europe/2022/20220203.pdf
4.JETROデュッセルドルフ事務所「欧州特許庁(EPO)、2021年3月版の改訂審査ガイドラインのドラフトを公開」(2021年2月11日)              https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Ipnews/europe/2021/20210211.pdf
5.D Young & Co Patent Newsletter No.91 “EPO Guidelines for Examination: adaptation of the description to the claims”              https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/epo-examination-description-claims

[担当]深見特許事務所 野田 久登

添付書面:
参考条文1:欧州特許条約より 第53条、第69条、第84条公式日本語訳
参考条文2:欧州特許付与に関する条約の施行規則より 規則42, 48公式日本語訳
審査ガイドライン改訂関連補足
 (1) 2021年3月改訂のPart F-IV,4.3(iii)の修正点の一例(上記「情報元4」より引用)
 (2) 2022年3月改訂のPart F-IV,4.3(iii)に記載の補正事例(上記「情報元3」より引用)