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沈黙はクレームの否定的表現の十分な記載要件かも知れないとしたCAFC判決の紹介

 米国連邦巡回控訴裁判所(CAFC)は、明細書にクレームの否定的表現については明記されていないが、明細書の記載要件を満たしているとする地方裁判所の判断を支持しました。
(Novartis Pharms. v. Accord Healthcare Inc., Case No. 21-1070 (Fed. Cir. Jan. 3, 2022) (Linn, O’Malley, JJ.) (Moore, CJ, dissenting).)

1.事件の経緯
(1)背景
 Novartisは、ジレニアの名称で再発寛解型多発性硬化症(RRMS)の治療等に使用される1日の用量が0.5mgの塩酸フィンゴリモド薬を市場に投入しています。HEC Pharm Co., Ltd. and HEC Pharm USA Inc. (以下、「HEC」という。)は、ジェネリック版のジレニアを販売するための承認を求め、簡略化された新薬承認申請(ANDA)を提出しました。Novartisは、HECのANDAが、Novartisの特許(US特許9,187,405号、以下「’405特許」という。)を侵害していると主張して地方裁判所に訴訟を提起しました。

(2)’405特許クレームの記載
 ’405特許のクレーム1の記載は、以下のとおりです。
 A method for reducing or preventing or alleviating relapses in Relapsing-Remitting multiple sclerosis in a subject in need thereof, comprising orally administering to said subject 2-amino-2-[2-(4-octylphenyl)ethyl]propane-1,3-diol, in free form or in a pharmaceutically acceptable salt form, at a daily dosage of 0.5 mg, absent an immediately preceding loading dose regimen.
(必要とされている対象における再発寛解型多発性硬化症の再発を低減または予防または軽減するための方法であって、前記対象に2-アミノ-2-[2-(4-オクチルフェニル)エチル]プロパン-1,3-ジオールを遊離形または薬学的に許容可能な塩形で、直前のloading doseレジメンなく1日の用量が0.5mgで、前記対象に経口投与することを含む方法。)
 なお、’405特許のクレーム1の「loading dose」は、通常投与される1日当たりの用量よりも高い用量を意味することを、NovartisおよびHECの両方の専門家が同意していました。

(3)明細書の記載
 ’405特許は2006年6月27日付で提出されたイギリス特許出願(以下、「2006出願」という。)に基づく優先権を主張していました。HECの主張は、’405特許のクレームは2006出願に記載されていないというものでした。
 ’405特許の明細書および2006出願の明細書は両方とも脱髄疾患に関連する血管新生の治療または予防にフィンゴリモドを含むS1P受容体モジュレータのクラスの使用について記載していました。両方の明細書は、S1P受容体モジュレータのクラス内の特に好ましい化合物として塩酸フィンゴリモド(化合物A)を特定していました。
 両方の明細書は再発性実験的自己免疫性脳脊髄炎(EAE)実験の結果について記載していました。EAE実験において、RRMSを模倣した疾患がルイスラットに誘発され、ラットは免疫後11日以内に急性疾患を引き起こし、16日目付近でほぼ完全に寛解し、26日目付近で再発しました。両方の明細書は、S1P受容体モジュレータ、例えば化合物A(塩酸フィンゴリモド)が、0.1〜20mg/kgの用量で動物に投与されたとき、疾患に関連する血管新生を有意に遮断すると報告していました。両方の明細書は、さらに、化合物Aが「0.3mg/kgの用量で毎日投与された」または「2日もしくは3日に1回または週に1回、0.3mg/kgの用量で経口投与された」ラットにおいて、疾患の再発が完全に抑制されたことを報告していました。
 両方の明細書は、また、予言的なヒト臨床試験(以下、「予言的試験」という。)を記載していました。予言的試験は、RRMS患者に1日当たり0.5、1.25、または2.5mgのS1P受容体モジュレータ(例えば、化合物A(塩酸フィンゴリモド))を2〜6ヶ月間投与する試験について記載していました。両方の明細書は、予言的試験に関連する「loading dose」については記載していませんでした。
 両方の明細書は、「本発明の方法を行うのに必要な1日投与量は、例えば、用いられる化合物、宿主、投与方法および処置される状態の重症度に依存して変化する。」と、広範囲の潜在的な投与量を記載していました。潜在的な投与量は、好ましい1日用量範囲が0.1から100mgであり、1日おきにまたは週1回、0.5から30mgの用量でした。
 なお、両方の明細書に記載の塩酸フィンゴリモド(化合物)は’405特許のクレーム1の「2-アミノ-2-[2-(4-オクチルフェニル)エチル]プロパン-1,3-ジオールを遊離型または薬学的に許容可能な塩型」に相当します。

(4)地方裁判所の判断
 地方裁判所は、4日間のベンチトライアル(陪審員制度を用いることなく、裁判官のみで行われる審理)後、HECのANDAはNovartisの’405特許のクレーム1-6を侵害していると判断しました。地方裁判所は、HECが、’405特許のクレーム1の(a)1日の用量が0.5 mgであること、および(b)「loading dose」がないことの限定が明細書にサポートされていないために無効であることを示すことができなかったと判断しました。

(5)CAFCへの上訴
 HECは地方裁判所の判断を不服としてCAFCに上訴しました。HECのCAFCへの上訴理由の概要は、以下のとおりです。
 (a)2006年の優先日の時点で1日当たり0.5mgの用量はRRMSを治療するには効果的ではないと考えられていた。他の2つの用量と一緒に0.5mgの1日当たりの用量をリストしている明細書に記載の予言的試験は書面による十分な説明を提供していない。クレームの1日当たり0.5mgの用量の限定は、明細書に記載のEAE実験の最少用量からNovartisによって「非公開の数学的手先の早業」として計算されたものに過ぎない。
 (b)’405特許の明細書には、「loading dose」がないことのクレームの否定的表現についての記載およびその潜在的な利益または不利益についての記載がない。’405特許の明細書および先行技術の要約(Kappos 2006)のいずれにも「loading dose」が記載されていないにも関わらず、’405特許の明細書には「loading dose」がないことが記載されており、Kappos 2006には「loading dose」がないことが記載されていないとして、Kappos 2006に対して’405特許クレームは新規性を有するとする地方裁判所の判断には誤りがある。

2.CAFCの判断
(1)1日の用量を0.5mgの限定のクレームのサポートについて
 CAFCは、以下の理由により地方裁判所の判断を支持しました。
 ①明細書には、0.5、1.25、または2.5mgの1日あたりの用量の予言的試験が記載されている。
 ②EAE実験で記載されているラットの1日あたりの最少用量をクレームの1日0.5mgのヒト用量に変換する専門家証言を信用するとした地方裁判所の判断に誤りはない。

(2)「loading dose」がないとするクレームの否定的表現について
 CAFCは、以下の理由により地方裁判所の判断を支持しました。
 ①沈黙しているだけでは明細書の開示は不十分であると考えられるが、「クレームの否定的表現についての新しく強化された基準」は存在しないため、従前のとおり、当業者が明細書の記載からクレーム発明を読み取ることができる限り、明細書の記載は任意の形式をとることができる。
 ②明細書に記載のEAE実験と予言的試験には「loading dose」が含まれていなかったと述べた専門家の証言を信用した地方裁判所による判断に明らかな誤りはない。
 ③当業者が、Kappos 2006を「loading dose」の有無について沈黙していると認識しながら、’405特許の明細書を「loading dose」を含まないことが記載されていると認識すると判断することに明らかな誤りはない。’405特許は許可された特許であるため、その明細書の記載が完全であり、特許が有効であると推定される。一方、それ自体が許可された特許ではないKappos 2006のような先行技術文献の開示には、そのような推定は適用されない。

(3)Kimberly A. Moore裁判長の反対意見について
 沈黙は、「loading dose」がないことのクレームの否定的表現についての十分な開示にはならない。’405特許の明細書には「loading dose」の開示はなく、「loading dose」の使用の有無については決して議論されていない。大多数が認めているように、我々は、沈黙はクレームの否定的表現をサポートできないと考えてきた。沈黙は、発明者が実際に当該発明を所有していたという証拠にはならない。今回の多数決による結論は、確立された判例と、特許審査手続マニュアルにおける米国特許商標庁のガイダンスと矛盾している。クレームの否定的表現については、発明者がそれを除外した理由を明細書に記載している必要がある。明細書の沈黙だけでクレームの否定的表現の記載が十分であるとすれば、後に追加されるすべての否定的表現が明細書にサポートされることになり、法の根本的な誤りとなる。

3.コメント
 本件の’405特許もそうですが、先行技術との差異を明確化するために、クレームに否定的表現(「~がない」等)を記載することがあります。本裁判例では明細書にクレームの否定的表現が明記されていなくても、明細書の記載から当業者が当該クレームの否定的表現を読み取ることができれば、明細書の記載要件が満たされると判断されています。バイオテクノロジー事件の記載要件に関連する問題は、以下に示される最近のいくつかのCAFC判決の対象となっており、本裁判例におけるCAFCの裁判長の反対意見を考慮致しますと、明細書の記載要件に関して近い将来に大きな判断がなされるかも知れません。

•Nuvo Pharms. v. Dr. Reddy’s Labs. (2019)
https://foiadocuments.uspto.gov/federal/17-2473_1.pdf
•Indivior UK v. Dr. Reddy’s Labs. (2021)
(20-2073.OPINION.11-24-2021_1870396.pdf (uscourts.gov))
•Juno Therapeutics v. Kite Pharma. (2021)
(20-1758.OPINION.8-26-2021_1825257.pdf (uscourts.gov))

[情報元]
①McDermott Will & Emery IP Update | January 14, 2022 “Silence May Be Sufficient Written Description Disclosure for Negative Limitation”
②Novartis Pharms. v. Accord Healthcare Inc., Case No. 21-1070 (Fed. Cir. Jan. 3, 2022) (Linn, O’Malley, JJ.) (Moore, CJ, dissenting). CAFC判決原文

[担当]深見特許事務所 赤木 信行