欧州特許付与後の分割出願の提出を認めたEPO審決
1.事件の概要
欧州特許出願の分割に関して、欧州特許条約(EPC)の施行規則36(1)は、「出願人は,係属中の先の欧州出願に関し,分割出願をすることができる」と規定しています。このことは、欧州特許出願が「特許付与決定(特許査定に相当:EPC施行規則71a(1))」を受けた後であっても「欧州特許付与の日(欧州特許公報における特許付与の言及の公告日:EPC第97条(3))」の前日までは当該出願は欧州特許庁(EPO)に係属していると考えられ、この期間中には分割出願の提出が可能であることを意味しています。換言しますと、欧州特許付与の後、すなわち欧州特許公報において特許付与の言及が公告された後には、分割出願の機会は失われることになります。
一方、欧州特許出願が拒絶決定を受けた場合であっても、これに対してEPO審判部に審判請求した後には、EPOに係属中の当該出願(親出願)から分割出願を提出できることは、EPOにおいて長年に渡って確立されてきた実務慣行です。すなわち、特許拒絶決定に対する審判請求によって特許拒絶決定に対して執行停止の効果(EPC第106条(1))が発生し、特許拒絶決定は未だ確定しない状態となり、当該欧州特許出願は再度EPOに係属した状態に戻ったことになります。この実務慣行は、親事件における審判請求の結果がどうなるか(拒絶査定が維持されるか否か)に関係なく適用されます。
今般、これまでのEPOの判例法(審決例)とは対照的に、欧州特許付与の言及の公告後であっても分割出願の提出が認められる可能性があることを示すEPOの審決が出されました(審判番号J 1/24:以下、「本件審決」)。通常、特許付与の言及を公告する欧州特許公報は、特許付与決定から4週間前後で発行され、その後は本来であれば前述のように分割の機会は失われます。一方で、審判請求は、審判で争う対象となるEPO各部門の決定の発送日から2ヶ月以内にEPOに提出することができます(EPC第108条)。したがって、一旦特許付与の言及が欧州特許公報によって公告された後であっても、特許付与決定から2ヶ月以内であれば、特許付与決定に対して審判を請求することが可能です。本件審決によりますと、欧州特許出願人は、特許付与決定に対して審判を請求することにより、その審判請求の結果如何に関わらず欧州特許付与後に分割出願を提出できる可能性があることが示されています。
2.事件の経緯
本件審決が出された審判事件の経緯について以下に時系列に説明します。
(1)欧州特許の付与
2021年2月18日に欧州特許出願(親出願)に対する特許付与決定が下され、2021年3月17日に特許付与の言及が欧州特許公報で公告されました。
(2)特許付与決定に対する審判請求書の提出
2021年4月16日に出願人は、親出願に対する特許付与決定に対して、当該特許付与決定の発送日から2ヶ月の法定期間内に審判請求書を提出しました。審判請求の結果、現在のEPOの実務に従い、特許付与の言及に関する欧州特許公報の公告の日付(2021年3月17日)が削除され、当該削除については欧州特許公報で公表されました。すなわち、特許付与決定に対する審判請求によって特許付与決定に対して執行停止の効果(EPC第106条(1))が発生し、特許付与の決定は未だ確定しない状態となり、当該欧州特許出願は再度EPOに係属した状態に戻ったと考えることができます。
(3)分割出願の提出
2021年5月24日に出願人は、分割出願を提出しました。
(4)審判請求理由書の提出
2021年6月18日に出願人は、当該特許付与決定の発送日から4ヶ月の法定期間内(EPC第108条)に審判請求理由書を提出しました。
(5)審判請求の取り下げ
2022年4月7日に出願人は、親出願の特許付与決定に対する審判請求を取り下げました。EPO審査部は、出願人に対し、親出願に関する特許付与の言及の新たな公告日である2022年6月15日を通知しました。この通知では、分割出願の提出前である2021年2月18日付けの当初の特許付与決定は引き続き有効であると記載されていました。
(6)分割出願の却下
EPOの受理部は分割出願の権利喪失通知を発行し、最終的には分割出願を却下する決定を下しました。
(7)却下決定に対する審判請求
出願人は分割出願を却下する決定に対して審判請求し、EPO審判部は最終的に分割出願が有効に提出されたと判断する本件審決に至りました。
3.本件審決に至るまでのEPOの実務
前述のようにEPC施行規則36(1)は、EPOに「係属中(pending)の出願」から分割出願を提出できる、と規定しています。しかしながら、EPCには、「係属中の出願」に関する法的定義は含まれていません。
(1)特許付与決定後の分割出願の時期的制限の原則
ほとんどの場合、そして今でも一般的な実務であるように、分割出願は特許付与の言及が欧州特許公報において公告される前日まで提出できる、というのが標準的な取り扱いです。
(2)特許拒絶決定後の審判請求による分割出願の可能性
親出願の審査が「否定的な」結果となった場合については、EPOの拡大審判部はその審決(G 1/09)[i]において、実質的な権利が未だ派生可能な場合は「係属中の出願」が存在する、と判断しました。重要なことは、実質的な権利が派生可能な「係属中の出願」は、特許付与手続きがなされている必要ないということです。拡大審判部は、「係属中の出願」の適切な基準は、EPC第67条に基づく仮保護のような実質的な権利であって、出願が取り下げられるか、取り下げられたとみなされるか、最終的に拒絶決定が確定した場合にのみ消滅する権利が未だ存在するかどうかである、と判断しました。これによれば、拒絶決定に対する審判の請求期間中であれば、たとえ実際に審判が請求されなくても分割出願は可能です。出願が拒絶された場合、拒絶決定に対する審判請求には停止効果があるため(EPC第106条(1))、審判を請求すると出願がEPOに係属した状態に戻り、出願人は審判請求後に分割出願を有効に提出することができます。
(3)特許付与決定後の審判請求による分割出願の可能性
EPOの別の審決(J 28/03)[ii]によると、特許が付与された場合の審判請求には、上記の拒絶決定の場合と同じ取り扱いは適用されませんでした。J 28/03の審判事件では、(上記のような現在のEPOの実務に反して)審判請求の結果として特許付与の言及の公告日が削除されなかったため、特許付与が有効になりました。J 28/03の審判事件において、EPO審判部は、特許付与決定が出願人が要求していたことに完全に沿った肯定的な結果でありそこには審判の対象となり得るような「拒絶」は存在していないため、特許付与決定およびその結果として特許付与の言及の公告に至る決定に対する審判請求は受理されないと予想される、と述べました。したがって、特許付与の決定は最終的なものであり、拒絶決定の場合とは異なり、出願はもはや「係属中」ではありません。審判請求が最終的に成功した場合にのみ、その間に分割請求が有効に提出される可能性があります。
4.本件審決の判断について
これに対し、本件審決において審判部は、現在のEPOの実務では、特許付与決定に対する審判請求は有効に提出されたものとみなされ、その結果、本件審決の審判事件で行われたように、付与の言及の公告日が削除されると指摘しています。さらに、審判部は、審判請求を2つの異なる考え方で検討することは矛盾すると述べています。第1の考え方は、付与の記載を削除するには、審判請求が受理されればよく、それによって停止効果が生じて分割出願が可能になるということです。第2の考え方は、(出願の「係属中」状態が左右される)停止効果を適用するには、J 28/03の審決場合のように審判請求が成功する必要があるということです。
本件審決において審判部は、審判請求は一般に停止効果を持つと判断する上記第1の考え方によるG 1/09のアプローチをすべての審判請求事件に適用することによって、上記の第1および第2の考え方の間の矛盾を解決しました。審判請求の停止効果により係属が再開され、分割出願の有効な提出が可能になります。「明らかに不適格(clearly inadmissible)」な審判請求のみが停止効果を持たないはずです。たとえば、第三者が提出した審判請求のように、EPCに根拠がない審判請求などです。同様に、その後の審判請求の取り下げは関係ありません。
5.実務への影響
本件審決は、特許付与決定に対して審判請求が申し立てられた場合、付与の言及の記載が欧州特許公報から削除されれば、停止効果が生じ分割出願を提出できる可能性があることを示唆しています。本件審決は、最近付与された特許に基づいて何とかして分割出願を提出したい出願人(特許付与前に分割出願を提出する機会を逃した出願人、または親特許が最適ではない文書に基づいて付与された出願人など)に一筋の希望を与える可能性があります。
本件審決は、現在の確立された実務から大きく逸脱しています。現時点では、EPOの他の案件がこの審決に従うかどうかは明らかではありません。したがって、当面は、本件審決は、特に重要な案件で何かがうまくいかなかった場合の最後の手段を提供するものと見なすべきであり、出願戦略を考案するための確固たる根拠として受け止めるべきではありません。
たとえ最後の手段として使われたとしても、本件審決の「明らかに不適格な」審判請求という基準には一定のリスクが伴います。審判部は、本件審決において、第三者による審判請求を例に挙げ、明らかに不適格な審判請求のみが停止効果を持たないと述べています。しかしながら、EPOが、原則としてEPCに根拠があるすべての審判請求を明らかに不適格ではないとみなすかどうかは不明です。審判請求が、出願人が付与を意図した文面で承認した補正に基づくものである限り(本件審決の事案など)、可能な限り審判請求の適格性を立証することに注力する必要があります。
[i] https://www.epo.org/en/boards-of-appeal/decisions/g090001ep1
[ii] https://www.epo.org/en/legal/official-journal/2005/12/p597.html
[情報元]
①HOFFMANN EITLE QUARTERLY December 20 :“J 1/24: Filing a Divisional After Grant at the EPO”
②J 0001/24 (Divisional patent application) 16-04-2024(EPO審決原文)
(https://www.epo.org/en/boards-of-appeal/decisions/j240001eu1)
[担当]深見特許事務所 堀井 豊