EPOでの異議申立とUPCでの取消訴訟とが並行して提起された場合においてUPCでの訴訟手続の停止を求めた特許権者の請求を却下したUPC中央部の決定を支持した控訴裁判所の決定
1.本件訴訟の背景
欧州特許庁(EPO)および統一特許裁判所(UPC)はそれぞれ互いに重複しない管轄分野を有しています。すなわち、UPCは欧州特許の付与には関与せず、EPOは欧州特許の権利行使には関与しません。ただし、欧州特許がUPCの裁判管轄権からオプトアウトされていない限り、EPOおよびUPCはともに、欧州特許の有効性に関する拘束力のある決定を下す権限を有しています。具体的には、1つの欧州特許が同時に、UPCにおける取消訴訟およびEPOにおける異議申立またはEPC第105a条および第105b条に規定する限定請求の対象になる可能性があり、このような状況は、「並行訴訟(parallel proceedings)」として知られています。有効性の評価におけるUPCおよびEPOの重複する管轄権は、欧州特許制度のユーザにとって非常に興味深いテーマです。このテーマについては、2024年6月19日付けで配信された弊所ホームページの国・地域別IP情報の「UPCにおける並行訴訟の裁判管轄」でも取り上げておりますのでご参照ください。(https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/11738/)
2.並行訴訟の法的側面
UPC協定第33条第10項の規定は、UPCの訴訟当事者は、対象となる欧州特許がEPOにおいて係属中の異議申立または限定請求の対象となっている場合には、その旨をUPCに報告しなければならないことを規定しており、EPOとUPCとでの並行訴訟が可能であることを前提としています。さらに同条およびUPC手続規則295(a)は、並行するEPOでの異議申立または限定請求の決定が迅速に下されると予想される場合には、UPCでの訴訟手続を停止できることを規定しています。これらのUPC協定の規定は明示的に、EPOの決定を待つことが有益である可能性を認め、UPCにおいてこれに従うかまたは少なくとも考慮に入れることができることを示しています。UPC協定はこれにより、UPCでの訴訟手続を停止させることによる潜在的な利点と、適時な決定を下すというUPCの当初の目標とをバランスさせようとしています。
これまでのところ問題は、UPCが実際にこのバランスをどのように評価するのか、並行訴訟における欧州特許の有効性の評価に際してEPOの判断をどの程度尊重するか、ということでした。この度、UPCの控訴裁判所(ルクセンブルク)は、UPC手続規則295(a)に基づく手続停止の要請に関する“Carrier Corporation v BITZER Electronics A/S”事件決定で、この問題に対するいくつかの答えを示しました。
・控訴審事件番号:APL-3507/2024
・控訴審決定番号:ORD-25123/2024(2024年5月28日付決定)
3.事件の経緯
(1)本件控訴審の当事者
Carrier Corporation(以下、「Carrier社」)は、コールドチェーン流通システムにおける適応センサーサンプリングに関する欧州特許EP3414708(以下、「本件特許」)の特許権者であり、UPCでの本案訴訟(取消訴訟)の第一審における被告です。本件特許は、フランス、ドイツ、およびイギリスで有効化されています。
BITZER Electronics A/S(以下、「BITZER社」)は、UPCでの本案訴訟の第一審における原告です。
(2)EPOに対する異議申立の提起
2023年6月28日に、BITZER社は、欧州特許条約(EPC)第100条に規定されたすべての異議申立理由に基づいて、欧州特許庁(EPO)に本件特許に対する異議申立を提出しました。
(3)UPC中央部に対する取消訴訟の提起
その翌日の2023年6月29日に、BITZER社は、UPC中央部(そのパリ支部、以下単に「中央部」)に本件特許のクレーム1の取消を求める取消訴訟を提起しました。
(4)EPOに対する異議の審理促進の請求
2023年11月1日に、Carrier社は、EPOに対して、異議申立の審理を促進するよう請求しました。
(5)UPCに対する手続停止の要請
2023年12月1日に、Carrier社は、EPOとUPCとで並行して同じ特許に対する訴訟手続を行うことの費用負担と非効率性を理由に、EPOでの異議手続の結果が出るまでUPCでの取消訴訟を停止することをUPC中央部に要請しました(UPC協定第33条第10項およびUPC手続規則295(a))。
Carrier社は、異議申立手続が、地域的な範囲(有効化されたすべての国)および実体的な範囲(すべての特許クレーム)に関して取消訴訟を包含するという事実を考慮して、手続の停止が適切であると主張しました。また、Carrier社は、UPCでの取消訴訟での取消理由が、EPOでの本件特許のクレーム1に対する異議申立理由と実質的に同じであるため、EPOとUPCとで並行して訴訟手続を進めることは手続的にも非効率的であると主張しました。Carrier社はまた、EPOに対して異議申立手続の促進を要請している事実も、UPCでの手続停止の要請を裏付けるものとして主張しました。
これに対して、BITZER社は、EPOでの異議申立手続における迅速な決定は期待できず、侵害予防調査(いわゆるFTO調査)に関する決定を可能な限り迅速に行うことによる利益を考慮すると、UPCでの取消訴訟手続の停止は適切ではないと主張して、Carrier社によるUPCでの取消訴訟の停止の請求を却下するように求めました。
(6)第一審UPC中央部の決定と控訴裁判所への控訴
2024年1月8日に、第一審のUPC中央部は、訴訟手続の停止請求を却下する決定を下しました。Carrier社は、この決定を不服として、UPCの控訴裁判所に控訴しました。
本件においては、UPCとEPOとで手続がほぼ同時に開始されており、このことは、UPCがEPOでの並行訴訟をどのように考慮するつもりなのかを知るための有益なテストケースを提供するものです。
4.控訴裁判所の判断
UPC控訴裁判所は、2024年5月28日に、Carrier社によるUPCでの取消訴訟の手続停止請求を却下する第一審の判決を維持する決定を下しました。以下に、控訴裁判所の判示内容について説明いたします。
(1)UPCでの停止の要因のバランスを取る
今回の控訴裁判所の決定は、有効性の判断においてUPCがEPOから独立する意図を強調しているように思われます。特に、控訴裁判所は、並行訴訟においてUPCまたはEPOのいずれかの決定が優先されるべきであるという考えを明確に却下し、「最後に決定を下す機関は、最初に決定を下す機関の決定をその決定において考慮に入れることができる」と指摘しました。
裁判所に関する限り、ハーモナイゼーションの目標は、UPCまたはEPOのいずれかが他方の機関の有効性に関する決定に常に従うことを要求するものではありません。各機関は独立して行動することができ、並行訴訟におけるハーモナイゼーションの度合いは、2番目に事件について決定する機関が、最初に決定した機関の決定に従う意思があるかどうかによって決まります。
UPCとしては、本件のような並行訴訟では、UPCがEPCに基づいて判決を下すことを認めたUPC協定第24条第1項に注目して、当然のこととして審理を停止し、EPOの有効性評価に従うことを決定する可能性もありました。しかしながら今回の控訴裁判所の決定は、UPCの独立性と、比較的迅速な決定に重点を置くこと、との双方を強調し、1年以内に第一審の判決を下すというUPCの目標に明示的に言及しています。並行訴訟においてEPOとUPCの優先度の判断が難しくなった場合、この迅速性の目標がEPOにおける有効性の判断の尊重よりも優先されることは、裁判所の理由付けから明らかであると思われます。UPCが、並行訴訟におけるEPOの決定について法的確実性を得るには、EPOでの最終審である審判部での審決が出るまでUPC自身の訴訟を停止しなければならない場合が多く、この遅れは何年もかかる可能性があることに裁判所は注目しました。
今回の判決では、当事者の利益のバランスの分析の一環として、BITZER社の「事業を行う自由に関する決定を可能な限り迅速に行うことによる利益」に特に言及しました。本件訴訟では、この利益は、両方の訴訟手続を同時に進める負担を軽減するというCarrier社の主張する利益を上回っていました。両方の訴訟手続を同時に進める負担については、裁判所は、UPCでの取消訴訟が比較的後期の段階にあり、すでにかなりの費用が支出されていることに言及しました。しかし、裁判所はまた、取消訴訟の費用がBitzer社にとって依然として有利であると判明する可能性もあると考えました。EPOが異議申立手続において本件特許の取消しを行えば、UPCでの手続は回避されますが、EPOが特許を維持するかまたは修正した形で維持することを決定する可能性も同等にあり、その場合には、UPCによる取消の判決が少なくともUPC締約国においては決定的なものとなります。
(2)EPOでの異議申立手続の迅速化
この決定のさらなる重要な側面は、並行して行われているEPOでの異議申立手続きの迅速化に関するものです。EPOは、特許権者であるCarrier社の要請に応じて、2024年2月2日に通知を発行し、異議申立手続を迅速化しました。しかしながら、口頭審理の日程に関してすべての当事者に都合の良いより早い日程を見つけることが困難であるという問題により、EPOでの口頭審理は、この迅速化によっては、予定されていたUPCでの審理よりも早く行われることはなく、またUPCが第一審決定を下せるように明示的に目指している本案訴訟の開始から1年の期間内には行われませんでした。したがって、裁判所は、EPOでの異議申立手続の迅速化の請求(許可されるかどうかにかかわらず)が、EPOでの予想される決定日に実質的な影響がない場合、請求自体によって訴訟手続の停止につながるべきである、という考えを却下しました。今回の決定では、「…迅速化そのものは…UPC手続規則295(a)の意味での迅速な決定の期待を確立するのに十分ではない」と述べられています。
しかしながら、裁判所は、EPOでの手続の迅速化が、EPOが決定を下すであろう時期を実質的に変更する場合には、UPC手続規則295(a)に基づく停止の決定において、より決定的な要因となり得ることを認めました。EPOでの手続の加速が並行するUPCでの手続の停止につながる可能性があるのは、EPOの決定がUPCの決定より前に下される可能性がある場合のみと思われます。実際には、これには、対応するUPCの裁判官合議体が自身の判決の理由付けにおいて十分に説明できるほど、EPOの決定が十分に早く下されることが必要であると思われます。
5.今後の課題
本件におけるUPCによる独立性の主張は、欧州特許制度のハーモナイゼーションに関する未解決のいくつかの疑問点に焦点を当てています。並行訴訟では、EPOとUPCとのいずれか一方の機関が特許を維持した場合、もう一方の機関はこの決定に従うかどうかを決定する必要があります。現時点では、双方の機関が同じ欧州特許を異なる形式(すなわち異なるクレーム範囲)で維持することは完全に可能であるように思われます。
上流での決定が下流にどのような結果をもたらすかという問題、特に権利行使への影響の問題については、明確化が必要と思われます。少なくとも、この問題については、Bitzer社とCarrier社の間のより広範な論争によって、近いうちにいくらか明らかになりそうです。UPC中央部は2024年7月29日に、本案取消訴訟で判決を下し、予備的請求Ⅱに基づいて特許を維持しました。しかし、並行して行われているEPOでの異議申立手続では、同じ請求(ここでは予備的請求Ⅰと番号付け)が新規性に欠けると暫定的に評価されています。
異議申立手続の口頭審理が2024年10月24日に予定されており、EPOの異議部がこの暫定的で拘束力のない意見をUPCの決定に合わせて修正するかどうかは興味深いところです。そうでない場合、そして特許を完全に取り消すのではなく、異なる範囲で特許を維持する場合、この明らかな緊張をどのように解決すべきかを明確にするために、判決の積み重ねによる判例法上のさらなる発展が必要になると思われます。
[情報元]
1.D Young & Co Patent Newsletter No.103 October 2024 | October 8, 2024 “Lessons from Carrier v Bitzer: parallel proceedings at the EPO and UPC”
(https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/carrier-bitzer-parallel-proceedings-epo-upc)
2.Order of the Court of Appeal of the Unified Patent Court issued on 28 May 2024
(本件UPC控訴裁判所判決)
[担当]深見特許事務所 堀井 豊