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UPC中央部の取消訴訟において進歩性ありとして特許が維持された判決紹介

 統一特許裁判所(UPC)中央部(パリ支部)は、ミュンヘン地方部での侵害訴訟における取消反訴が統合された取消訴訟において、取消訴訟の被告(本件特許権者であり侵害訴訟の原告)による特許の訂正請求を認め、訂正後の形で維持されたクレームは進歩性があると判定しました。本件取消訴訟判決は、UPCにおいて進歩性がどのように評価されるかについて有益な情報を提供するものであります。

(中央部での取消訴訟事件番号:UPC_CFI_255/2023)

 

1.事件の経緯

(1)UPCミュンヘン地方部への侵害訴訟の提起

 Edwards Lifesciences Corporation(以下、「Edwards社」)は、欧州特許EP3646825(以下、「本件特許」)を所有しています。2023年6月1日に、Edwards社は、Meril GmbHおよびMeril Life Sciences Pvt Ltdが本件特許を侵害しているとして、両社を相手取って特許侵害訴訟をUPCミュンヘン地方部に提起しました。

(2)UPC中央部への取消訴訟の提起

 2023年8月4日に、Meril Italy Srlは、Edwards社を相手取って、本件特許の取消訴訟をUPCの中央部(そのパリ支部、以下、単に「中央部」と称する)に提起しました。取消訴訟においてMeril Italy Srlは、本件特許はいくつかの理由により無効であると主張しましたが、その理由の1つは進歩性の欠如でした。

(3)侵害訴訟における取消反訴の提起

 ミュンヘン地方部での侵害訴訟の被告であるMeril GmbHおよびMeril Life Sciences Pvt Ltdは、2023年11月2日に、本件特許の取消を求める反訴を本件侵害訴訟において提起しました。両社の反訴は内容が同一であり、かつ中央部での取消訴訟においてMeril Italy Srlが提起した無効理由と同じ無効理由を含んでいたため、ミュンヘン地方部は、ミュンヘン地方部に提起された取消反訴は中央部での取消訴訟と統合されるべきと判断し、2024年3月28日付けの命令により、ミュンヘン地方部での取消反訴を中央部に付託しました。以下、中央部での取消訴訟において本件特許の取消を主張するMeril Italy Srl、Meril GmbHおよびMeril Life Sciences Pvt Ltdの3社を集合的に「Meril社」と称します。

(4)特許の訂正請求

 取消訴訟の被告であるEdwards社は、中央部での取消訴訟において3回にわたり本件特許の訂正請求を提出しました(2023年10月31日付、2024年1月22日付、および2024年4月12日付)。1回目および2回目の訂正請求は却下されましたが、中央部の裁判官合議体は、3回目の訂正請求においてEdwards社が提出した予備的請求IIのクレーム1の訂正を許容し、この訂正クレームの進歩性の評価が争点となりました。

(5)中央部の判決

 中央部における本件訴訟の口頭審理は2024年6月7日に開催され、その後中央部は、2024年7月19日付けで、Meril社によって提起された取消訴訟および取消反訴を棄却し、Edwards社が2024年4月12日付けで提出した訂正請求の予備的請求Ⅱで訂正された形で本件特許を維持する判決を下しました。

 

2.本件特許の概要

 2024年4月12日付けでEdwards社が提出した訂正請求の予備的請求Ⅱで訂正された本件特許のクレーム1は以下の通りです。以下のクレーム1において、当初の登録クレームに対する訂正個所を太字で示します。さらに、訴訟において争点となった記載を斜体および下線によって示します。

 また、クレームに続いて、本件発明の実施形態による人工弁の側面図である図6を示します。

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1. A system comprising:

a prosthetic heart valve (100) comprising:

a collapsible and expandable annular frame (102), configured to be collapsed to a radially collapsed state for mounting on a delivery apparatus and expanded to a radially expanded state inside the body; wherein the frame (102) comprises a plurality of rows (112a, 112b, 112c, 112d) of angled struts (114), the angled struts (114) joined to each other so as to form a plurality of rows of hexagonal cells, wherein the frame (102) is made up entirely of hexagonal cells, and wherein each of the hexagonal shaped cells is defined by six struts (144, 146, 148), including:

two opposing side struts (144) extending parallel to a flow axis of the valve (100),

a pair of lower angled struts (146), extending downwardly from respective lower ends of the side struts (144) and converging toward each other, and

a pair of upper angled struts (148) extending upwardly from respective upper ends of the side struts (144) and converging toward each other; and

a delivery catheter comprising an inflatable balloon;

wherein the prosthetic heart valve (100) is crimped in its radially compressed state on the balloon of the delivery apparatus, and wherein the balloon is configured to be inflated to expand to radially expand the prosthetic heart valve (100) at the desired deployment location, preferably within a native aortic valve.

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 本件特許は、弁周囲逆流を防止または最小限に抑えるために、可撓性カテーテルに圧着されて装着された人工心臓弁に関するものです。人工心臓弁が装着された可撓性カテーテルは、患者の体内に挿入され、患者の血管を通って移植部位に到達し、そこで弁は圧着されていない状態まで拡張されます。しかしながら、拡張した弁と周囲の組織との間の隙間の結果として弁周囲漏出(弁を通る血流と逆方向の血液の漏出)が発生する可能性があります。そのような血液の逆流を最小化するために、人工弁と周囲の組織との間の接合部を密閉するための様々な装置が開発されてきました。そのような密閉装置の多くは、圧縮状態において人工弁全体が比較的大きな形状を有することとなり、医師が大腿動脈または大腿静脈を介して人口弁を前進させることを阻害する可能性があるという欠点を有します。人工弁の形状をより小さくすることにより、安全性を高めながら、より幅広い患者集団の治療が可能になります。

 本件特許の目的は、六角形のセルのみで構成されたフレーム(ハニカム形状を形成)を使用して(クレーム中の斜体・下線の部分を参照)、この種の血液の漏出を防止または最小限に抑えることです。これにより、圧着された人工弁の形状が小さくなり、圧着および拡張中の安定性が向上し、半径方向の強度が向上します。

 

3.クレームの解釈

 中央部は、最近のSanofi-Aventis v Amgen事件判決に沿って、クレームの解釈は、文言の厳格な文字通りの意味だけに依存するものではなく、クレームを解釈する際には明細書および図面を説明の補助として使用できると判断しました。Sanofi-Aventis v Amgen事件判決につきましては、2024年10月16日付けで配信いたしました弊所HPの記事「進歩性の欠如を理由にUPC締約国17ヶ国で特許無効を宣言したUPC中央部の初めての判決」をご参照ください(https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/12424/)。

 中央部のこのようなクレーム解釈のアプローチは、欧州特許庁(EPO)のアプローチ、すなわちクレーム自体の内容に対してより限定的であり、クレームに何らかの曖昧さが存在する場合にそれを明確にするために明細書のみを参照するアプローチとは異なります。さらに、中央部は、進歩性の評価は当業者の視点から行う必要があると述べました。本件の場合、当業者は、人工心臓弁に関心を持つ医療機器エンジニアと、カテーテルを用いた診断・治療を行う心臓専門医(interventional cardiologist)とからなるチームであると考えられました。これは、EPOが採用したアプローチと一致しています。

 

4.技術的効果の検討

 取消訴訟の原告であるMeril社は、クレーム1の特徴は技術的効果をもたらすものではなく、単に自明な代替案であると主張しました。具体的には、Meril社は、単に六角形のセルのみで作られたフレームを実現するだけでは、他のパラメータも圧着された人工弁の形状と半径方向の強度に影響を与える可能性があることから、明細書に記載されている技術的効果を達成するのに十分ではないと主張しました。

 中央部は、原告は通常の立証責任の配分に従って、技術的効果の欠如の主張を裏付ける証拠を提示しなければならないと指摘し、そして、そのような証拠は提示されていない、と結論付けました。中央部はさらに、特徴が技術的効果を達成するのに十分ではないという事実は、その特徴を無関係にするものではないと付け加えました。

 

5.六角形セルを導入する動機

 中央部は、進歩性の評価は、欧州特許条約(EPC)第56条に従って実行されなければならず、また、最近のDexcom v Abbott事件判決に沿って、当業者が直面する特定の課題の観点から評価されるべきである、と述べました。進歩性についてEPC第56条は、「発明は、技術水準に照らして、当業者にとって自明でない場合、進歩性を有するものと認められる」と規定しています。また、Dexcom v Abbott事件判決において、パリ地方部は進歩性について、「進歩性を評価するには、技術水準を前提として、当業者が技術的知識を用いて簡単な操作を実行することで、特許で主張されている技術的解決策を得られたかどうかを判断する必要がある。進歩性は、当業者が直面する特定の問題の観点から明らかにされる。」と指摘しました。Dexcom v Abbott事件判決につきましては、2024年10月1日付けで配信いたしました弊所HPの記事「侵害訴訟に対する反訴によりUPC締約国17ヶ国で特許無効が宣言されたUPCパリ地方部の判決」をご参照ください(https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/12316/)。

 Meril社は、いくつかの先行技術文献(WO 01/28459(Dimatteo)、“Vascular Stent Prototype: Results of Preclinical Evaluation”, published in the January 1996 edition of the Journal of Vascular and Interventional Radiology(Fontaine論文)、WO 2021/48035(Levi))が心臓弁に六角形セルが使用されていることを開示しているため、六角形セルのみからなるフレームは技術的課題に対する自明で代替的な解決策であると主張しました。したがって、Meril社は、フレームを六角形セルのみで作ることは単なる設計上の選択であり、先行技術がこれに対する動機付けを与えている、と主張しました。

 しかしながら、先行技術では、六角形セルは他の形状のセル(六角セルの間に介在する菱形セル)と組み合わせて使用されることだけを開示していました。中央部は、圧着された人工心臓弁の形状を縮小するという問題に対処しようとしたとき、先行技術における六角形セルの使用だけでは、六角形セルだけでフレームを構成することが当業者にとって自明ではないであろう、と判断しました。

 さらに、先行技術では、圧着された人工弁の形状を縮小するためのさまざまな他の解決策が開示されていました。特に、ある文献では、六角セルの間に介在する菱形セルを使用すると、テーパーの付いた折り畳みフレームが有利に提供される、と教示されており、六角セルの間に介在する中間セルを除去して六角形セルのみで構成されるフレームを作成することはこの文献の教示と矛盾するため、この変更は当業者にとって自明ではありません。したがって、中央部は、先行技術には、先行技術のフレームを変更して六角形セルのみで構成されるフレームを作成する動機付けがなく、この特徴は自明ではない、と結論付けました。

 両当事者は、議論された特定のタイプの人工心臓弁(カテーテルで挿入されるもの)の開発は、人工心臓弁の技術と血管ステントで使用される技術とを組み合わせたことから生まれたものであることに同意しました。Meril社は、いくつかの血管ステントは六角形セルのみで作られており、半径方向の強度と最小限の圧着時の形状を提供している、と主張しました。Meril社は、これらは本件特許の優先日の時点で当業者にとって一般的な知識であったと主張しました。中央部は、当業者が血管ステントの先行技術を認識していたであろうことには同意しました。しかしながらMeril社は、ステント分野の先行技術を引用するには、心臓弁技術への適用について慎重な検討と強い動機付けが必要であると考えました。しかしながらMeril社は、そのような動機付けを見出すことはできませんでした。というのは、特にステント分野から引用された主な文献は、別の技術的問題を取り上げており、柔軟性が高く半径方向に耐性のあるデバイスの製造に焦点を当てていたからです。柔軟性が高いと大動脈弁輪内で弁の安全な固定を阻害する可能性があるため、そのようなデバイスは心臓弁では不利と考えられます。

 さらに、血管ステントでは、血管を開いたままにして再狭窄を防ぐために、半径方向の強度が必要です。したがって、ステント分野から引用された主な文献では、ハニカム構造によって血管ステントの血管を開いたままにする能力が向上すると説明されていましたが、これが心臓弁にも適用できるということは示されていませんでした。

 したがって、中央部は、ステント分野の先行技術を考慮しても、クレーム1は自明ではない、と判断しました。文献が組合せのための強い動機を示している場合にのみ、当業者は異なる技術分野の技術を組み合わせることができることに留意すべきです。

 

6.結論

 UPC中央部は、Edwards社が提出した予備的請求IIのクレーム1は進歩性があると判断し、Meril Italy Srlが中央部に提起した取消訴訟と、Meril GmbHおよびMeril Life Sciences Pvt Ltdがミュンヘン地方部に申立てた取消反訴とを却下しました。この結果、本件特許は訂正された形で維持されました。

 

7.留意点

 前述のSanofi-Aventis v Amgen事件判決に沿って、UPC中央部は、クレームの進歩性に関する結論を出すにあたり、EPOの課題解決アプローチには従いませんでした。中央部によれば、進歩性は、当業者が直面した特定の問題の観点から評価されます。一方で中央部はやはり、当業者が直面した課題、および引用文献が必要な修正を行う動機を与えたかどうか、を考慮しました。本件判決およびSanofi-Aventis v Amgen事件判決から、UPCはEPOが採用した課題解決アプローチからわずかに逸脱しようとしているように見えますが、進歩性を評価するための原則は概ね同じと考えられます。実際、中央部は、この事件では課題解決アプローチを適用しても異なる結論には至らなかっただろう、と指摘しました。

 また、当業者の決定も欧州の実務に沿っており、引用文献が当業者に、特定の特徴を導入する動機付けを与えたかどうかの検討も欧州の実務に沿っていることにも留意すべきです。例えば、先行技術が他の解決策を教示しているという主張、または特徴の導入が先行技術の教示と矛盾するという主張は、UPCにおける進歩性の評価において重視されるように思われます。

 

[情報元] 

1. D Young & Co Patent Newsletter No.103 October 2024 “Meril v Edwards: inventive step at the UPC”

https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/meril-edwards-inventive-step-upc

2. HOFFMANN EITLE QUARTERLY “Subsequent Request For Patent Amendment as a Defence in UPC Revocation Actions”

https://hoffmanneitle.com/news/quarterly/he-quarterly-2024-09.pdf#page=2

3. DECISION of the Court of First Instance of the Unified Patent Court Central division – Paris seat issued on 19 July 2024 in the revocation action No. ACT_551308/2023 UPC_CFI_255/2023 and in the counterclaims for revocation No. CC_584916/2023 and C_585030/2023 UPC_CFI_15/2023(UPC中央部判決原文)
https://www.unified-patent-court.org/sites/default/files/files/api_order/21F793967A39FFC2BB1455CB3C788D2B_en.pdf

[担当]深見特許事務所 堀井 豊