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選択発明について、先行発明に対する構成の困難性も顕著な効果も認められないとして進歩性が否定された、韓国大法院判決

置換基の置換位置の選択によって先行発明の化合物に含まれ得る電子素子用材料に関する特許発明について、韓国大法院は、置換基を他の置換位置に置換させることに対する否定的な教示がなく、本件特許発明における寿命および外部量子効率の効果が先行発明と比べて異質的または量的に顕著であると断定することが困難であることから、進歩性が否定されると判示しました(大法院2024. 5. 30.言渡し2021Hu10022判決)。

1.事件の背景

(1)本件対象特許の概要

 本件特許発明は、有機電界発光素子(OLED)等に使用される電子素子用材料の化合物に関しています。本件特許発明の請求の範囲(2019年6月28日に訂正請求されたもの)における請求項1(以下「本件訂正発明」)は、「化学式(Ⅰ-1)ないし(Ⅰ-8)から選択されることを特徴とする化合物」であり、「化学式(Ⅰ-1)ないし(Ⅰ-8)」はいずれも、フェナントレン(phenanthrene)の1番および/または4番位置においてのみジアリールアミノ基やジアリールアミノ基に連結されるものとして限定されています。「化学式(Ⅰ-1)ないし(Ⅰ-8)」のそれぞれの構造式の詳細については、下記「情報元2」をご参照下さい。

 「フェナントレン」は、分子式C14H10、分子量178.23で、3つのベンゼン環が結合した、下図の構造式を有する多環芳香族炭化水素です。

フェナントレンの構造式

(2)第1審における原告の主張

 原告(特許権者、上告審における上告人)は、本件訂正発明が先行発明1(「芳香族アミン誘導体およびそれを利用した有機電界発光素子」を発明の名称とする韓国登録特許公報)および先行発明2(「有機EL素子材料およびそれを使用した有機EL素子」を発明の名称とする日本特許公報)により進歩性が否定されるとする特許審判院の特許取消決定に対して、その特許取消決定の取消しを特許法院に請求しました。原告の主張は次の通りです。

 (i)本件訂正発明は先行発明の選択発明に該当せず、一般の法理を基準として進歩性を判断するべきである。

 (ii)仮に本件訂正発明が選択発明であるとしても、OLEDの寿命や効率等を向上させる効果を有することから、先行発明に比べて効果の異質性または顕著性が認められるため進歩性が否定されるとはいえない。

 (iii)本件訂正発明が選択発明だとしてもその進歩性の判断において構成の困難性も考慮すべきであり、本件訂正発明は先行発明に対して構成の困難性が認められるため、進歩性が否定されるとはいえない。

 (3)特許法院の判断

 これに対し、特許法院は、次の理由により、本件訂正発明の進歩性は否定されると判示しました。

 (i)本件訂正発明は先行発明に対して、置換基の置換位置が異なるだけで化合物の構造は同じである。

 (ii)また、先行発明には置換基を他の置換位置に置換させることについての否定的な教示がない。

 (iii)さらに、本件訂正発明における寿命および外部量子効率の効果が先行発明と比べて異質的であるとか量的に顕著であるとは言えない。

 

2.大法院の判断

(1)選択発明の進歩性判断の法理

 本件の審理に際して大法院は、選択発明の進歩性判断に関し、概ね次のような法理を示しました。

 (i)先行発明において特許発明の上位概念が公知となっている場合であっても、構成の困難性が認められれば特許発明の進歩性は否定されない。特許発明が、先行発明の化学式とその置換基の範囲内に理論上含まれる場合でも、先行発明に具体的に開示されていなければ、構成に困難性があれば進歩性が認められる可能性がある。

 (ii)また、特許発明の進歩性を判断する際にはその発明が有する特有の効果も考慮すべきであり、先行発明に理論的に含まれる化合物のうち、特定の化合物を選択する動機や暗示等が先行発明に開示されていない場合であっても、それが技術的意義のない任意の選択にすぎない場合には、そのような選択に困難性があったとは認められない。

 (iii)さらに、化学、医薬等の技術分野では、発明の効果が先行発明に比べて顕著であれば、構成の困難性を推論する有力な資料になるといえる。

 (iv)効果の顕著性は、特許発明の明細書に記載され、通常の技術者が認識するかまたは推論できる効果を中心に判断すべきであり、もしその効果が疑われるときは、特許権者は出願日以降に追加の実験資料を提出する等の方法によりその効果を具体的に主張・証明する必要がある。その場合の追加の実験資料等は、その発明の明細書の記載内容の範囲を超えないものでなければならない。

 なお、上記法理のうち、選択発明の進歩性判断において構成の困難性を考慮することの重要性については、2021.4.8言渡し2019Hu10609大法院判決でも言及されています。この判決については、弊所ホームページの「国・地域別IP情報」の2021.8.13付配信記事(URL: https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/7017/)で説明しています。

 また、結晶発明の特許に関してではありますが、先行発明の化合物の効果と質的に異なるかまたは量的に顕著な差がある場合には、進歩性が否定されないという法理が、2024.3.28言渡し2021Hu10343大法院判決(下記「情報元3」をご参照下さい)において述べられています。

(2)本件訂正発明の進歩性の判断

 本件訂正発明の進歩性について大法院は、次のように判断しました。

 (i)本件訂正発明と、先行発明との対比

 本件訂正発明には、その構成要素のうちの一部が請求項に選択的に記載されていて、その選択的構成要素のうちのいずれかを選択して先行発明と比較した結果、進歩性が否定されれば、当該請求項全部の進歩性が否定されることになる。

 先行発明1または2は、いずれも有機電界発光素子に関する化合物発明であって、置換基等の発明の構成要素の一部が選択的に記載されており、その置換基と置換位置等の選択に応じて、理論上、先行発明1または2の化合物に本件訂正発明の一部の化合物が含まれる。

 本件訂正発明の化学式(Ⅰ-1)ないし(Ⅰ-8)の化合物は、フェナントレンの1番および/または4番の位置のみがジアリールアミノ基やジアリールアミノ基に連結される連結基が置換されるものとして限定されているが、先行発明1にはそのような限定はない。また、本件訂正発明の化学式(Ⅰ-4)および(Ⅰ-5)の化合物は、フェナントレンの1番または4番の位置においてジアリールアミノ基に連結される連結基が置換されるものとして限定されているが、先行発明2ではジアリールアミノ基に連結される連結基がフェナントレンの何番の位置で置換されるのか特定されていない。

 (ii)本件訂正発明の構成の困難性について

 先行発明1は、望ましい連結基としてフェナントレン基を記載する一方、上記連結基がフェナントレンに置換される位置として1番、4番の位置を含めて列挙している。先行発明1または2においてジアリールアミノ基がフェナントレンに置換され得る位置は5ヶ所であり、そのうちフェナントレンの1番または4番の位置においてジアリールアミノ基を置換することに対する否定的な教示や示唆はない。先行発明1に具体的に開示された化合物は本件訂正発明の化学式(Ⅰ-1)、(Ⅰ-2)と、先行発明2に具体的に開示された化合物v等は本件訂正発明の化学式(Ⅰ-4)、(Ⅰ-5)と、それぞれフェナントレン置換位置が異なることを除いて、同じ構造である。また、いずれの先行発明にも、置換基を他の置換位置に置換させることに対する否定的な教示や示唆がないことから、構成の困難性を認めることはできない。

 (iii)本件訂正発明の質的・量的に顕著な効果の有無について

 本件訂正発明の化合物が持つ寿命および外部量子効率についての効果は、先行発明の1または2と質的に異なる効果とは認められない。

 一方、本件特許の明細書に記載された実施例、および原告が追加で提出した比較実験資料は、特定の一部置換基または置換位置に関する実験結果であり、その記載内容だけでは化学式(Ⅰ-1)ないし(Ⅰ-8)から選択されることを特徴とする本件訂正発明の化合物全てが先行発明1または2に比べて寿命や外部量子効率において量的に顕著な効果を有すると断定することは困難である。

 (iv)結論

 上記のような事情により、本件訂正発明は先行発明1または2と比較して、構成の困難性や顕著な効果があると認めることができないため、進歩性は否定されることから、原審の判断は正当であり、さらに、上告理由の主張のような、判決に影響を及ぼした誤りはない。

 

3.実務上の留意点

(1)選択発明の進歩性と、構成の困難性

 選択発明については、先行発明と比較して異質的または顕著な効果があってこそ進歩性が否定されないというのが従来の判例の態度でした(大法院2011.7.14言渡し2010Hu2865判決等)。ただし、韓国での選択発明の進歩性判断に関し、上述した大法院2019Hu10609判決では、先行発明において特許発明の上位概念が公知となっている場合であっても、構成の困難性が認められれば進歩性は否定されないと判示しました。

 本件の場合、特許法院と大法院のいずれも、本件訂正発明が選択発明に該当すると判断した上で、選択発明に対する既存の判断法理を適用して進歩性を否定しています。すなわち、上述したように、本件訂正発明について、効果の質的、量的顕著性を否定することに加えて、先行発明に置換基を他の置換位置に置換させることに対する否定的な教示や示唆がないことを根拠に構成の困難性を否定しました。このことは、構成の困難性について説得性のある主張を行なうことができれば、選択発明の進歩性が認められる可能性があることを改めて示したものといえます。

(2)特許出願後の比較実験試料の提出について

 特許明細書に発明の効果をどの程度記載する必要があるかという明細書の記載要件については、大法院2003.4.25.言渡し2001Hu2740判決等において、「発明の説明においては先行発明に比べて優れた効果があることを明確に記載すれば十分であり、その効果の顕著性を具体的に確認できる比較実験資料まで記載しなければならないわけではなく、後に出願人が比較実験資料を提出する等の方法によってその効果を具体的に主張、立証できる」と判示されています。すなわち、出願の時点においては発明の構成により特別な技術的効果が発生したことについて明細書に記載することが望ましいといえるものの、特定の先行発明と比較した場合の発明の優れた効果については、当該明細書の記載に基づいて後日実験データを提出することも認められています。

 本件大法院判決においても、出願後に比較実験資料を提出すること自体の有効性を否定したわけではなく、提出された比較実験資料を検討した上で、本件訂正発明の質的・量的な顕著な効果を実証されていないと判断したものであり、裏を返せば、選択発明の場合においても、そのような効果を実証する証拠となるのであれば、出願後の比較実験資料の提出が有効であることを認めたものといえます。

[情報元] 

1.KIM & CHANG IP Newsletter | 2024 Issue3 | Japanese「選択発明において先行発明に対する構成の困難性が認められず、異質的または量的に顕著な効果が認められないとして進歩性が否定された事例」
              https://www.ip.kimchang.com/jp/insights/detail.kc?sch_section=4&idx=30054

2.JETRO知財判例データベース「選択発明として特許発明の進歩性が否定されるとした大法院判決」
              https://www.jetro.go.jp/world/asia/kr/ip/case/2024/_523867.html

3.JETRO知財判例データベース「結晶形特許発明について進歩性が否定されるとした大法院判決」
              https://www.jetro.go.jp/world/asia/kr/ip/case/2024/_523324.html

[担当]深見特許事務所 野田 久登