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人工ニューラルネットワークはコンピュータプログラムに該当しないとの高等法院判決を覆した英国控訴院判決

英国控訴院(British Court of Appeal)は、人工ニューラルネットワーク(Artificial Neural Network, 以下、「ANN」という。)の主題適格性に関する英国高等法院(British High Court)の判決(以下、「本件原判決」という。)を覆しました。昨年の2023年11月21日、英国高等法院は、ANNは、コンピュータプログラムではなく、特許主題からの除外条項はANNに全く適用されないと判断していましたが、英国控訴院は、どのように実装されても、ANNの重みはコンピュータプログラムであり、したがって特許主題からの除外対象となり得るとの判決(以下、「本件判決」という。)を下しました。

        Comptroller General of Patents, Designs and Trade Marks v Emotional Perception AI Ltd [2024] EWCA Civ 825

 

.背景

)問題とされたクレーム

 問題とされたクレームは、Emotional Perception AI Ltd(以下、「Emotional Perception AI」という。)が出願したAI関連発明(出願番号 GB1904713.3,公開番号 GB2583455、以下、「本件出願発明」という。)に含まれていました。Emotional Perception AIは、英国知的財産庁(UKIPO)において発明の主題適格性が否定されたため、知財訴訟の第一審である英国高等法院にUKIPOを相手取って訴えを提起しました。

 本件出願発明は、製品に関するクレーム1およびプロセスに関するクレーム4を含みますが、いずれもANNに関する同様の特徴を有する発明であり、英国高等法院ではクレーム4に焦点が当てられて議論されました。

 クレーム4は、ANNを含むシステムを用いて意味的に関連するファイル(たとえば、音楽ファイル)の推奨を提供する方法に関し、訓練データファイルの複数のペアでANNを訓練し、訓練済のANNで推奨ファイル(関連参照データファイル)を識別し、推奨ファイルをユーザデバイスに送信し、ユーザデバイスでコンテンツを出力するプロセスを含んでいます。訓練済のANNによる利点として、たとえば、音楽のジャンル等に関係なく、人間の知覚と感情の観点から類似した音楽の提案を提供でき、訓練されたANNに音楽を渡すことによってそのような提案に到達できることが挙げられています。

 

)英国高等法院における判断(本件原判決)

 (iANNはコンピュータプログラムか

 英国高等法院は、ANNがハードウェアで構築されるケース(電子機器が内蔵された物理的なボックス)とソフトウェアで構築されるケース(コンピュータエミュレーション)とに分けて問題を検討しました。ハードウェアANNについては、「特許主題からの除外条項が適用される”プログラム”は存在せず、出願がハードウェアANNに限定されていたならば除外されなかった」とする点に関して当事者で争いはありませんでした。

 ソフトウェアANNに目を向けた場合、英国高等法院は、ANNの訓練段階においてはコンピュータプログラムが関与しているものの、訓練を終えたANNの動作は、人間によって事前に定められた一連の指示(プログラム)を実行するものでないから、ANNの動作にはコンピュータプログラムが関与していないと判断しました。

 確かに、ANNの動作は、人間が記述するプログラムによって規定されるものではなく、ANNが訓練データで繰り返し訓練を受けることによって、ANN自体が生成するものであり、ノードの状態は、各ノードがどのように動作し、データを渡すかという点において、訓練プロセスを通じて学習するANN自体によって決定されます。したがいまして、その動作を実現する構造は、人間の目から見ると一般的にはブラックボックスであると言われています。

 さらに、英国高等法院は、ANNの訓練段階にはコンピュータプログラムが関わるかもしれないものの、訓練段階に関わるプログラムは、クレームの補助的な部分であり、クレームされていないと判断しました。そして、英国高等法院は、ANNに含まれるパラメータ(ANNの訓練中に調整される重みとバイアス)のアイデア自体は、必ずしもプログラムの一部ではなく、この立場から解釈すると、クレームはコンピュータプログラムに関するものであるとは到底いうことができず、本件出願発明に特許主題からの除外条項は適用されないと結論しました。

 

 (ii)技術的貢献を有するか

 英国高等法院は、上記の結論が間違っている場合に備えて、”技術的貢献”の問題を進んで検討しました。英国では、コンピュータまたはコンピュータプログラムが関与しているということのみでクレームが特許主題の対象から除外されることはありません。コンピュータプログラムに関するクレームについては、以下に示される4つのステップから成る”Aerotel test”が実施されることによって、それが特許主題からの除外対象であるか否かが判断されます。”技術的貢献”は、以下のSTEP 4での判断対象です。

 (STEP 1)適切にクレームを解釈する。

 (STEP 2)実質的な貢献を特定する。

 (STEP 3)その貢献が専ら除外される保護対象に該当するか否か(除外対象である場合は発明に該当しない)。

 (STEP 4)実質的貢献又は主張されている貢献が実質的に技術的であるか否か(技術的でない場合は、発明に該当しない)。

 

 英国高等法院は、クレームされているファイル(関連参照データファイル)は、システムが独自に作成した技術的基準を適用することによって意味的に類似していると特定されたファイルであって、単なる旧来のファイルではなく、出力はコンピュータ外部の技術的効果であり、選択の目的および方法と組み合わせると、特許主題からの除外を免れる技術的効果の要件を満たすと判断しました。さらに、判決は、(音楽)ファイルは、それが機能すればユーザに効果を及ぼすが、類似特性を持つファイルは依然として生成され、ユーザがファイルを聴かなくても問題にはならないと判断しました。

 

UKIPO

 本件原判決を受けて、UKIPOは、ANNを他のコンピュータプログラムとは異なる方法で扱うよう審査官に指示する法令ガイダンスを発表しました。その一方でUKIPOは、異例の措置として、本件原判決を不服として英国控訴院(Court of Appeal)に控訴しました。

 

.英国控訴院の判断(本件判決)

ANNはコンピュータプログラムか

 控訴人である特許・意匠・商標長官(Comptroller – General of Patents, Designs and Trade Marks)は、特定のタスク用にANNをカスタマイズするには、重みとバイアスのセット(以下、重みとバイアスとを併せて単に「重み」と称します。)を適切に構成する必要があり、この重みのセットがこの種のコンピュータプログラムを形成すると主張しました。

 これに対して、被控訴人であるEmotional Perception AI Ltdは、コンピュータプログラムというものは、人間のプログラマによって定義された連続した論理的な「if-then」タイプのステートメントの形をとり、コンピュータが行うことを正確に定義するものである一方、ANN内で自らの学習によって定義される重みは、ANNがハードウェアであるかソフトウェアかを問わず、コンピュータプログラムといえないから、ANNはコンピュータプログラムに該当しないと主張しました。

 被控訴人は、さらに、ANNの核となる有用性は、コンピュータプログラミングでは解決できない問題に対処できることにあると説明しました。すなわち、控訴人は、コンピュータプログラムを記述するには、プログラマが課題と解決方法とを理解し、コンピュータが従う一連の論理コマンドを定式化する必要があり、そもそも課題自体が解決困難な場合、コンピュータプログラマはプログラムを書くことができない一方、これとは対照的に、ANNは機械ベースのシステムであり、データセットでトレーニングをすることで、それ自体で内部構造(リンク、ノード、重み、バイアス)を生成し、解決困難な問題を解決でき、その構造は、トレーニングプロセス中に行われた反復的な変更の結果であり、コンピュータ科学者は、ANNがどのような構造を採用するか、ANNが最終的にデータからどのようなパターンや関係性を取り込むかを事前に知ることはできず、与えられた答えを出すようにトレーニングされたとしてもANNが問題にどのようにアプローチしているかを理解することは不可能であること等を述べました。

 英国控訴院は、”コンピュータプログラム”という用語が登場する英国特許法第1条(2)がEPC第52条に対応することを意図していることを念頭に置いて、今回の争点に対して概ね次のような判断を示し、ANNは、ハードウェア実装であるかソフトウェア実装であるかに関わらず、コンピュータプログラムであり、同法第1条(2)の除外条項が適用される範囲内にあると結論しました。

*****英国控訴院の判断の概要*****

 EPC発効の際、英国は最初の署名国のうちの1つであった。両当事者の議論には、「ANNは新しいものであり、したがって1973年(EPC公布の年)に立法者の頭の中にそれがあったはずがない」との示唆があったように思われたが、どちらの側も、1973年に理解された用語が今日理解される方法とは異なる可能性があるという主張を実際には行わなかった。本法廷は、技術が進歩した後にそれよりも前の法令の解釈の問題-新聞が紙であった当時に制定された1994年のVAT法令をデジタル新聞にどのように適用するか-に最高裁判所が取り組んだ事案” News Corp UK & Ireland Ltd v HMRC [2023] UKSC 7 “を参照する。要点は、法令の表現の意味は変わらないが、それが対象とするものの類は変わる可能性があるということである。法律が可決されたときには存在せず、したがって当時は法律の範囲内であると特定できなかったものも、意味が理解されれば、今日でもその法律の対象になる可能性がある。

 その上で、問題の用語を解釈すると、コンピュータとは、情報を処理する機械であり、コンピュータプログラムとは、コンピュータが何かを行うための一連の命令であると考えられる。これら2つの定義は連動しているため、コンピュータとは何かを行う機械であり、その機械が行うことは特定の方法で情報を処理することであると言える。プログラムとは、機械に情報を他の方法ではなく特定の方法で処理させる一連の命令である。

 ANNについて最初に指摘すべき点は、ANNがどのように実装(ハードウェアまたはソフトウェア)されても、そのようなマシンは明らかにコンピュータであり、情報処理マシンであるということである。ANNの重みに注目すると、ANNがどのように実装されているかに関係なく、これらの重みはコンピュータに何かを行うための一連の命令、すなわち、コンピュータプログラムである。セットが「if-then」タイプのステートメントの論理的な一連の形式をとらないという事実はその判断に無関係である。

 したがって、特許法第1条(2)項に規定されている、コンピュータプログラム自体の特許主題からの除外を検討するに際して、ハードウェアANNとソフトウェアANNとの間に違いはなく、どのように実装されてもANNの重みはコンピュータプログラムであり、特許主題からの除外対象となる。

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)技術的貢献を有するか

 英国控訴院は、検討を進める前に、「ANNが実装された発明(以下、ANN実装発明という。)の場合に特許法第1条(2)が適用されるという事実は、他のコンピュータ実装発明の場合と同様、特許が認められないことを意味するものではないことを強調しておく価値があり、本件特許出願に係る発明に特許主題からの除外条項が適用されるという事実は、ANN実装発明が他のコンピュータ実装発明よりも優れているわけでも劣っているわけでもないことを単に意味している」と述べました。

 次に、英国控訴院は、技術的貢献の検討対象は、クレーム中の推奨メッセージ(推奨ファイル)を送信するステップのみである点に着目しました。その上で、英国控訴院は、本件のファイル送信が標準的なファイル送信と異なる点は、ファイルがより良い推奨、たとえばユーザが好む可能性が高い曲を表している点であるが、推奨ファイルを推奨する価値は、その意味的性質(主観的かつ認知的な性質)にあり、これは美的問題であって、技術的なものでなく、除外対象の範囲外で技術的効果を生み出すシステムに変えるものではないとして、本件特許出願に係る発明には特許主題からの除外条項が適用されるものと結論しました。

 

.実務上の留意点

)本件判決の意義

 本件判決を踏まえ、本件原判決を受けて「ANN実装発明がコンピュータプログラムに該当することを理由として拒絶してはならない」とされていたUKIPOの法令ガイダンスが再び変更されており、そこでは、「審査官は、ANN実装発明を、第1条(2)の目的のために、他のコンピュータ実装発明と同様に扱うべきである。…審査官は、Aerotelのアプローチを適用して、ANNで実装された発明が本質的に技術的な貢献をしているかどうかを評価する必要がある。」とされています。

 このガイダンスからも理解されるとおり、ANNが再び他のコンピュータプログラムと同様に扱われるようになります。つまり、本件判決を機に、発明がANNであるからということのみを理由に英国で特許を取得できなくなるのでなく、以前と同様、特許出願人は、特許取得のため、コンピュータ自体を超えた技術的効果、またはコンピュータ自体の動作を強化する技術的効果を実証する必要があるということです。

 

)コンピュータプログラムの定義

 被控訴人であるEmotional Perception AI Ltdの主張を踏まえますと、ANNが訓練によって自ら獲得した重みやバイアスといったパラメータの構造のことを、”プログラム”と理解することに抵抗を感じる方は少なくないように思われます。本件判決も「ANNは、従来のコンピュータと呼んでいるものとは異なる。」と指摘しています。英国控訴院は、新聞が紙で提供されることが当然であった当時に制定された法令をデジタル新聞に適用する際の最高裁判所の事案を参照し、法令の表現の意味は変わらないが、それが対象とするものの類は変わる可能性があるとして、そのような理解の乖離を埋めることに取り組みました。

 ちなみに、筆者が個人的に愛用しているタブレット端末で、ANNがコンピュータプログラムの定義に合致するかどうかを生成AIに尋ねたところ、「人工ニューラルネットワーク全体は、…コンピュータプログラムの一部として見ることができますが、重みやバイアスそのものは「プログラムの命令」ではなく、プログラムが処理するパラメータです。そのためニューラルネットワークは、コンピュータプログラムの定義には部分的に合致しているといえます。」という曖昧な回答が得られました。本事案は、法律が急速な技術の進展に十分に追いついていないために議論が生じた事案の1つといえるでしょう。

[情報元] 

1. D Young & Co Patent Newsletter No.102 August 2024 “UK Court of Appeal overrules High Court, saying AI inventions are in no better and no worse position than other computer implemented inventions” (22 July 2024)

https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/uk-court-of-appeal-overrules-high-court-ai

2. Comptroller General of Patents, Designs and Trade Marks v Emotional Perception AI Ltd [2024] EWCA Civ 825(英国控訴院判決原文)

    https://www.judiciary.uk/wp-content/uploads/2024/07/Comptroller-General-of-Patents-Designs-and-Trade-Marks-v-Emotional-Perception-AI.pdf

3. Emotional Perception AI Ltd v Comptroller General of Patents, Designs and Trade Marks [2023] EWHC 2948 (Ch)(英国高等法院判決原文)

    https://8newsquare.co.uk/wp-content/uploads/Emotional-Perception-approved.pdf

4. UKIPO法令ガイダンス

    https://www.gov.uk/government/publications/examining-patent-applications-involving-artificial-neural-networks/examining-patent-applications-involving-artificial-neural-networks

[担当]深見特許事務所 中田 雅彦