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侵害訴訟に対する反訴によりUPC締約国17ヶ国で特許無効が宣言されたUPCパリ地方部判決

2024年7月4日に統一特許裁判所(UPC)のパリ地方部はその最初の本案判決を下し、UPC協定の17の締約国(批准国)すべてにおいて本件欧州特許を無効と宣言しました(DexCom, Inc. v. Abbott Laboratories et al.事件:UPC_CFI_230/2023)。この判決によって、いわゆるセントラルアタックが現実のものとなりました。

 

1.事件の経緯

 DexCom, Inc.(以下、「DexCom社」)は、血糖値モニター装置に関する欧州特許EP 3 435 866(以下、「本件欧州特許」)を有しています。本件欧州特許の発明を巡っては、DexCom社と、Abbott Laboratories(以下、「Abbott社」)との間で世界規模で特許紛争が生じていました(両社とも米国に本拠を置く企業で当該分野における競業メーカー)。

(1)EPOでの異議申立

本件欧州特許に対しては、Abbott社が欧州特許庁(EPO)に異議申立を行っておりましたが、EPOは2023年5月にこの異議申立を却下いたしました。

(2)ドイツでの国内訴訟の提起

 両当事者間では、本件欧州特許に基づいて有効化されたドイツ国内特許に関して、マンハイム地方裁判所に特許侵害訴訟が提起され、ドイツ連邦特許裁判所に特許取消訴訟が提起されていました(なお、UPC締約国ではありませんが、英国においては本件欧州特許に基づく英国特許を取り消す同意命令(consent order)が高裁から出されています)。

(3)UPCでの訴訟の提起

 2023年7月7日にDexCom社は、Abbott社(被告①)およびその関連会社9社(被告②~⑩)の計10社に対して、UPCのパリ地方部に侵害訴訟を提起し、パリ地方部での口頭審理の時点でUPC協定を批准していた締約国の領域内で被告によってなされた本件特許の侵害行為に対する救済を求めました。ここでUPC締約国はドイツを含みますが、上記のドイツ国内裁判所(マンハイム地裁)での侵害訴訟ではAbbott社(被告①)および上記の関連会社のうち2社(被告②および⑧)の計3社による侵害行為が対象とされており、UPCパリ地方部ではこれらドイツ国内裁判所で対象とされた3社の侵害行為は除外されました(この点については後述します)。

 この侵害訴訟の提起に対して2023年11月13日に、被告であるAbbott社(被告①)およびその関連会社(被告②~⑩)は本件特許の有効性に異議を唱え、反訴を提起しました。

 

2.取消訴訟の裁判管轄について

 このように地方部で係属中の侵害訴訟において、対象特許の取消を求める反訴が提起された場合には、原則としてUPC協定第33条第3項により、当該地方部は、次の3つの選択肢のいずれか1つで手続を進める裁量権を有します。

 ① 地方部が侵害訴訟および取消の反訴の両方を担当する(第33条第3項(a))

 ② 地方部が侵害訴訟を担当し、取消の反訴を中央部に付託する(第33条第3項(b))

 ③ 当事者の合意を得て、事件全体を中央部に付託する(第33条第3項(c))

UPCパリ地方部における本件侵害訴訟では、特許取消を求める反訴が提起された本件欧州特許が、前述のようにドイツ連邦特許裁判所で係争中の特許取消訴訟の対象でもあるという特別な事情がありました。ドイツ国内での取消訴訟は、UPCパリ地方部での取消の反訴に先立つ2023年5月9日に提起されました。ただし、ドイツでの取消訴訟は、UPCの訴訟の被告10社のうち1社(被告⑧)のみによって提起されたものでした。

EU加盟国間における国際裁判管轄のルールを定めるブリュッセル規則(改正)第29条はこのような場合の取り扱いについて以下のように規定しています。

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“Article 29

1. Without prejudice to Article 31(2), where proceedings involving the same cause of action and between the same parties are brought in the courts of different Member States, any court other than the court first seised shall of its own motion stay its proceedings until such time as the jurisdiction of the court first seised is established.

(第31条(2)の規定にかかわらず、同一の訴訟原因および同一の当事者間の訴訟が異なる加盟国の裁判所に提起された場合、最初に受理した裁判所以外の裁判所は、最初に受理した裁判所の管轄権が確定するまで、自らの判断で訴訟を停止するものとする。)

2. In cases referred to in paragraph 1, upon request by a court seised of the dispute, any other court seised shall without delay inform the former court of the date when it was seised in accordance with Article 32.

(第1項に規定する場合には、係争事件を受理した裁判所の要請により、他に受理した裁判所があれば、第32条の規定に従って、先に受理した当該裁判所に遅滞なくその日を通知しなければならない。)

3. Where the jurisdiction of the court first seised is established, any court other than the court first seised shall decline jurisdiction in favour of that court.“

(最初に受理した裁判所の管轄が確定した場合、最初に受理した裁判所以外の裁判所は、最初に受理した裁判所を優先して管轄権を放棄するものとする。)

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上記の条文から、EUにおける裁判管轄の規定は、訴訟原因および訴訟当事者がいずれも同一の場合に適用されるものと理解されます。本件訴訟において、UPCパリ地方部は、ドイツでの取消訴訟は、本件欧州特許のドイツ国内部分のみに関係するものであり、また被告⑧が唯一の原告であるため、訴訟の当事者はUPCの訴訟とは異なる、と判断しました。このため、UPCパリ地方部は、UPCにはブリュッセル規則(改正)第29条(3)に基づいて最初に受理した裁判所を優先して管轄権を放棄する義務はない、と判断しました。

したがって、管轄権を放棄するかどうかはUPCの裁量に委ねられました。ドイツの国内裁判所がUPCよりも前に最終決定を下すようなことは予想されませんでした。UPC協定に定められた効率性と迅速性の原則に基づいて、UPCパリ地方部は、ドイツの国内裁判所を優先して管轄権を放棄するか、あるいは訴訟手続を中止することは、適切な司法行政の利益にならないと判断しました。そしてUPCパリ地方部は、ドイツの国内部分を含む本件欧州特許全体の有効性を判断する権限を有すると判断し、特許の侵害訴訟と取消の反訴をともに審理することを決定しました。

 

3.侵害訴訟の対象

パリ地方部は、UPCでの訴訟と並行して締約国のいずれかで国内侵害訴訟が存在する場合、特許権者は国内侵害訴訟のある国をUPCでの侵害訴訟から除外することで、当該国内侵害訴訟における訴訟原因に対する抗弁をUPCの訴訟から回避できることを確認しました。

裁判所に提起される係争の範囲は、「訴訟当事者が係争の主題を定義する」という法の一般原則によって議論の余地無く支配されるものであり、この原則は、以下に示すUPC協定第76条(1)において確認されています。

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“ARTICLE 76

Basis for decisions and right to be heard

(1) The Court shall decide in accordance with the requests submitted by the parties and shall not award more than is requested.“

(判決の根拠および意見を述べる権利

(1) 裁判所は当事者が提出した請求に従って判決を下し、請求された以上の判決を下してはならない。)

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 UPC協定第83条に規定する移行期間の間は、UPCと締約国の国内裁判所との間の並行訴訟の可能性があり、上記の法の一般原則は、その際の不都合を回避するために、原告(特許権者)が、並行する侵害訴訟のある国での侵害行為をUPCでの訴訟から除外することを許容しています。しかし、被告のUPCでの取消反訴は、上記の除外規定に従って制限される必要はありません。UPCに拘束力のある法律文書にそのような制限が明示的に記載されていないため、被告はいつでも、特許が有効なすべてのUPC締約国における取消の反訴を行うことが可能です。

 

4.特許の有効性について

(1)被告(Abbott社)の主張

上記のようにパリ地方部は、侵害と有効性の問題を分割せずに一緒に審理しました。審理においては本件欧州特許の有効性が主として争われ、侵害の成否は基本的に争われませんでした。UPCパリ地方部に提起された反訴において、侵害訴訟の被告であるAbbott社およびその関連会社は、EPOでの異議申立と同じ先行技術D1(US 2015/205947 A1)に依拠して同様の主張を行いました。

 本件欧州特許の発明は、血糖値モニター装置において用いられる通信プロトコルの切替に関するものであります。本件欧州特許のクレーム1は以下のように規定しています。

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1. 分析物監視システムであって、

1.1 分析物レベルを示す測定を行うように構成されたセンサと、

1.2 前記センサに通信的に結合されたセンサ電子機器ユニットとを備え、前記センサ電子機器ユニットは、

1.2.1 前記センサから前記分析物レベルを示す分析物測定データを受信し、

1.2.2 前記分析物レベルを示す前記分析物測定データの第1の部分をBluetoothまたはBluetooth Low Energy(BLE)である第1の通信プロトコルを使用して送信し、

1.2.3 近距離無線通信(NFC)または無線周波数識別(RFID)である第2の通信プロトコルを使用してデータ要求コマンドを受信し、

1.2.4 前記データ要求コマンドに応答して、前記分析物レベルを示す前記分析物測定データの第2の部分を前記第2の通信プロトコルを使用して送信するように構成され、

前記分析物監視システムはさらに、

1.3 表示デバイスを備え、前記表示デバイスは、

1.3.1 前記第1の通信プロトコルを使用して、前記分析物レベルを示す前記分析物測定データの前記第1の部分を受信し、

1.3.2 前記第2の通信プロトコルを使用して、前記データ要求コマンドを前記センサ電子機器ユニットに送信し、

1.3.3 前記データ要求コマンドに応答して、前記第2の通信プロトコルを使用して、前記分析物レベルを示す前記分析物測定データの前記第2の部分を受信するように構成された、分析物監視システム。

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被告のAbbott社は、D1が、各送信タイプに使用できる異なるプロトコルを開示しており、具体的には、ブロードキャスト通信の場合にはWi-Fi、Bluetooth、またはBLEの使用を教示しており([0100])、オンデマンド通信の場合にはNFC、Wi-Fi、Bluetooth、またはBLEの使用を教示している([0101])、と主張しました。

EPO異議部の却下決定においては、EPO異議部は、D1が2つの異なる通信タイプ、つまり一方の「オンデマンド」データ送信と他方の「ブロードキャスト」データ送信の組み合わせの使用を開示しているが、2つの異なる通信プロトコル(一方のBluetoothまたはBLEと他方のNFCまたはRFID)の組み合わせの使用は開示していないと考え、異議申立を却下しました。それでもなおAbbott社は、本件UPC訴訟において、優先日にD1を読んだ当業者にとって、クレーム1のシステムは自明であっただろうと主張しました。

(2)原告(DexCom社)の主張

これに対して原告のDexCom社は異議部が先に示した結論を支持して、「ブロードキャスト」技術にBluetoothまたはBLEを選択し、「オンデマンド」技術にNFCを選択する動機はなく、当業者がD1のシステムを変更して、本件欧州特許にクレームされたシステムに到達する動機となるものはD1にも一般的な常識にも存在しない、と主張しました。

(3)パリ地方部の判断

UPCパリ地方部は、本件欧州特許のクレーム1は最も近い先行技術D1に対して新規であると判断しましたが、当該先行技術との差異は狭いと判断しました。

進歩性についてEPC第56条は、「発明は、技術水準に照らして、当業者にとって自明でない場合、進歩性を有するものと認められる」と規定しています。本件判決において、進歩性についてパリ地方部は、「進歩性を評価するには、技術水準を前提として、当業者が技術的知識を用いて簡単な操作を実行することで、特許で主張されている技術的解決策を得られたかどうかを判断する必要がある。進歩性は、当業者が直面する特定の問題の観点から明らかにされる。」と指摘しました。

パリ地方部は、クレームされた発明がD1に開示されているシステムと異なるのは、D1が第2のオンデマンド方式で分析物測定データの第2の部分をデバイス102からデバイス120に送信するために使用されるプロトコルを明示的に開示していない点のみであると考えました。D1のシステムを実行するという課題に直面した場合、当業者は1つのプロトコルを選択しなければならないでしょう。技術的課題は、分析対象測定データの第2の部分を送信するためのプロトコルを選択することであると定義できます。

D1は、NFC、Bluetooth、BLE、WiFiの4つの候補を明示的に挙げています([0101])。各プロトコルの利点と欠点は、エネルギー効率やセキュリティの考慮など、一般的な知識です。係争中の特許は、低消費電力と狭いレンジによるセキュリティというよく知られた利点以外に、NFC(またはRFID)を選択することによる特別な効果や驚くべき効果を挙げていません。D1は、デバイス120が既に分析物測定データの第2部分の送信を開始する要求コマンドにNFCを使用することを明示的に開示しており、これは、ユーザーが既にデバイス120をデバイス102に近接させていることを意味します。したがって、同じプロトコル、つまり第2の近距離無線通信プロトコルNFCを引き続き使用してデータを送信し、このプロトコルに一般的に帰せられる効果を達成することは、当業者にとって明らかです。

上記のすべての理由により、UPCパリ地方部は、技術的課題はプロトコルの選択に過ぎず、D1と一般常識とを組み合わせて考慮した場合、本件欧州特許のクレーム1に記載されている発明には進歩性がないという結論を下しました。このようにUPCパリ裁判所は、D1の技術的開示について、EPO異議部とは異なる解釈をし、これが事件の結果に非常に大きな影響を及ぼしました。

 

5.考察

この判決においてはいわゆるセントラルアタックが現実となり、企業がEU内外の複数の裁判管轄区域で関連する被疑侵害品を訴えている複雑で大規模な国際的係争におけるUPCの重要性を示しています。特に本件訴訟により、UPC訴訟は、スピードと効率性において国内訴訟を追い抜く能力があることが示されています。

また、進歩性についてUPCパリ地方部が引用先行技術を独自に検討し、EPOにおける異議申立とは異なる独自の判断をしたことから、同様の主張であってもEPOとUPCとでは異なる結論になる可能性があることに注目すべきです。なお、本件についてはUPC控訴裁判所に控訴される可能性が高く、その場合はUPCの取消判決が確定するまでは特許は維持された状態にあります。控訴された場合には控訴裁判所の判断が注目されます。

 なお、特許侵害訴訟における無効の抗弁に関して日本の制度との対比では、日本特許法では104条の3でそのような場合の権利行使が制限されるのに対して、UPC手続規則(Rules of Procedure)25.1では、特許無効の抗弁は反訴としての特許取消訴訟の提起を含むことが規定されていることも、興味ある相違点であることを付言いたします。

[情報元] 

① IP Update (McDermott News) “European UPC Issues Its First Decisions on the Merits”

(https://www.ipupdate.com/2024/07/european-upc-issues-its-first-decisions-on-the-merits/)

② Legal Lens on the Unified Patent Court | July 2024 (McDermott News)

“Topics: first UPC revocation; bypassing existing jurisdiction in national court”

(https://www.mwe.com/insights/legal-lens-on-the-unified-patent-court-july-2024/)

③ UPC_CFI_230/2023

“Decision on the merits of the Court of First Instance of the Unified Patent Court delivered on 04/07/2024 concerning EP3435866”(本件UPCパリ地方部判決原文)

(https://www.unified-patent-court.org/sites/default/files/files/api_order/8B08C53E1E2722DE9690B9C0BDAE0AEC_en.pdf)

[担当]深見特許事務所 堀井 豊