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UPCデュッセルドルフ地方部の仮差止命令紹介

2024年4月30日に統一特許裁判所(UPC)のデュッセルドルフ地方部は、10x Genomics, Inc.(以下、「10x Genomics社」)が、競合するCurio Bioscience Inc.(以下、「Curio社」)に対して請求した仮差止命令を認める決定をし、フランス、ドイツ、スウェーデンにおいて、組織サンプル内の核酸の局在化された検出用のSeeker空間マッピングキットをCurio社が提供、販売、使用、または所有することを禁じました(UPC第一審事件番号:UPC_CFI_463/2023)。

 なお、UPCにおける仮差止命令の基本原則については、2024年5月8日付けで配信いたしましたNanoString Technologies, Inc. v 10x Genomics, Inc.事件控訴審判決に関する弊所HPの記事「UPC控訴裁判所による最初の実体的判決」をご参照いただきたいと思います(https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/11384/)。

 

1.事件の経緯

 10x Genomics社は、「組織試料中の核酸の局在化されたまたは空間的な検出のための方法および製品(“method and product for localised or spatial detection of nucleic acid in a tissue sample”)」に関する欧州特許EP 2 697 391(以下、「本件特許」)を有しています。本件特許はドイツ、フランス、スウェーデンで有効化され、10x Genomics社は各国において単一の特許権者として登録されました。本件特許に対する異議申立は提起されておりません。

 10x Genomics社は、Curio社に対して、その製品である“Curio Seeker Spatial Mapping KIT”の提供および流通について特許の侵害を主張し、Curio社との話し合いを行いました。しかしながら、Curio社が製品の出荷を継続する姿勢を示したため、10x Genomics社はUPCのデュッセルドルフ地方部(以下、「地方部」)に仮差止命令の請求を行いました。

 

2.本件特許のクレーム発明

 本件特許には、方法のクレームおよび装置のクレームの両方が含まれています。以下に方法のクレーム1および装置のクレーム14の仮訳を示します。

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1.細胞を含む組織試料中の核酸の局在化された検出のための方法であって、

(a)捕捉プローブの複数のスピーシーズが、直接的に又は間接的に、その上に固定化された基板を備えるアレイを提供するステップを含み、前記捕捉プローブの複数のスピーシーズの各々が、前記アレイ上の別個の位置を占め、かつ前記プローブがプライマー伸長又はライゲーション反応のためのプライマーとして機能できるように遊離の3’端部を有するように配向され、前記捕捉プローブのスピーシーズの各々が、5’から3’に向けて、

  (i)前記アレイ上の前記捕捉プローブの前記位置に対応する位置ドメイン、及び

  (ii)捕捉ドメイン

を有する核酸分子を含み、

(b)前記アレイを組織試料に接触させて、前記組織試料の核酸を前記捕捉プローブ中の前記捕捉ドメインにハイブリダイズさせるステップと、

(c)前記捕捉プローブを伸長又はライゲーションプライマーとして用いて、捕捉された核酸分子からDNA分子を生成させるステップとをさらに備え、前記伸長された又はライゲートされたDNA分子が前記位置ドメインまたはその相補体によりタグ付けされ、

(d)前記タグ付けされたDNAの相補鎖を選択的に生成し、及び/又は前記タグ付けされたDNAを選択的に増幅するステップと、

(e)前記タグ付けされたDNA分子及び/又はその相補体若しくはアンプリコンの少なくとも一部を前記アレイの表面から放出するステップとをさらに含み、前記一部が、前記位置ドメインと、前記位置ドメイン又はその相補体に対して3’である配列のすべてとを含み、

(f)前記放出されたDNA分子の配列を直接的に又は間接的に解析するステップと、

(g)解析された配列の情報を前記組織試料内の位置と関連付けるステップとをさらに含む、方法。

 

14.細胞を含む組織試料中の核酸の局在化された検出に使用するアレイであって、捕捉プローブの複数のスピーシーズが、直接的または間接的に、その上に固定化された基板を備え、前記捕捉プローブの複数のスピーシーズの各々が、前記アレイ上の別個の位置を占め、かつ前記プローブが伸長又はライゲーションプライマーとして機能できるように遊離の3’端部を有するように配向され、前記捕捉プローブのスピーシーズの各々が、5’から3’に向けて、

  (i)前記アレイ上の前記捕捉プローブの前記位置に対応する位置ドメイン、及び

  (ii)前記アレイと接触する組織試料の核酸を捕獲する捕捉ドメイン

を有する核酸分子を含み、前記補足ドメインは、

   (a)少なくとも10個のデオキシチミジン残基を含むポリT DNAオリゴヌクレオチドおよび/またはランダムまたは縮重オリゴヌクレオチド配列、または

   (b)遺伝子のグループに固有の配列、を有する、アレイ。

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3.被疑侵害品について

 争点となっている被疑侵害品(組織サンプル内の核酸の局在化された検出用のSeeker空間マッピングキット)は、空間的にインデックス付けされたビーズからなるタイルが載ったスライドで構成されています。各ビーズは、ポリ(dT)領域を介してmRNAにハイブリダイズしかつビーズバーコード配列を含むことができる、いくつかのオリゴヌクレオチドでコーティングされています。バーコードはビーズ上のすべてのオリゴヌクレオチドで同じですが、ビーズごとには異なります。

 争点となっている被疑侵害品を使用して、組織試料を分析できます。これはスライド上のタイルに適用され、組織試料からの分子(RNA)が空間的にインデックス付けされたビーズ上の分子(捕捉構造)に結合します。次に、RNAは生体分子処理を受け(cDNAに転写されかつ増幅され)、シーケンシングデバイスを使用して配列が決定されます。シーケンシングにより、試料に含まれていた特定のRNA分子を決定することができます。最後に、各RNA分子は、空間的にインデックス付けされたビーズのインデックスに基づいて、元の組織試料内の位置に割り当てられます。

 

4.地方部の判断

 第一審において争点は多岐にわたりましたが、以下に主要な争点について、当事者の主張と地方部の判断について説明いたします。

(1)原告の主張について

 原告である10x Genomics社は、被告Curio社による被疑侵害品のドイツ、フランス、スウェーデンでの提供と販売は本件特許の直接または間接侵害を構成しており、特に、被疑侵害品によって核酸の検出および位置特定のために用いられる方法は、本件特許のクレーム1のすべての特徴を文言通り実現している、と主張しました。そして原告は、その停止命令を執行するための唯一の選択肢が本案訴訟によるものである場合には原告は相当の損害を被ることになるので、仮差止命令のような暫定措置命令は必要である、と主張しました。

(2)侵害について

 原告の主張に対して、地方部は、装置クレームに関しては仮差止命令を認めるが方法クレームについては認めないという分離された決定を出しました。

 クレームを解釈するにあたり、地方部は、Curio社による包袋禁反言の適用の試みを却下しました。UPC協定の第54条および欧州特許条約(EPC)の第69条に基づき、審査過程において出願人が行った陳述は、当業者が関連する特徴をどのように理解するであろうかを示す可能性がありますが、クレームの解釈では通常考慮されません。

 地方部は、主張された装置クレームに対するCurio社の侵害については、部分的に「どちらかと言えばそうであろう(more likely than that)」と判断しました。これは、被疑侵害品がクレームに記載された意図された用途を満たしているかどうかに関係なく、装置クレームが製品をカバーしていることによります。装置クレームは対象製品の空間的物理的特徴を定義しており、その特徴は意図された用途に役立つように設計されている必要がありますが、対象製品の意図された用途が実際に発生したことを示す必要はありません。しかしながら方法クレームについては、地方部は、10x Genomics社が、どちらかと言えば侵害があったであろうことを示せなかったと判断しました。

 本件判決において第一審の地方部は、本稿冒頭で引用したUPC控訴裁判所のNanoString Technologies, Inc. v 10x Genomics, Inc.事件の判決で確立された「どちらかと言えばそうであろう(more likely than that)」基準を適用して、今回も仮差止命令を発令しています。しかし、予想どおり、侵害および無効の証拠と議論に関する裁判所の分析は、当初の判決に比べてより詳細になっています。

(3)有効性について

 有効性に関して地方部は、被告が提出した証拠を検討しましたが、本件特許は特許の有効性に関するUPC第62条4項に規定される「有効性の十分な明白さ」を満たすものであると認定し、暫定措置命令を出すのに必要な範囲で、本件特許の有効性は明白であると結論付けました。もしも裁判所が、本件特許が「どちらかと言えば有効ではない(more likely than not that the patent at issue is not valid)」と考えるのであれば、そのような「有効性の十分な明白さ」は欠如することになります。

 Curio社の無効の主張に応じて10x Genomics社がクレームの修正(「予備的請求」として知られる)を提出したにもかかわらず、地方部は、Curio社は装置のクレームが「どちらかと言えば無効であろう(more likely invalid than not)」ということを示せなかった、と判断しました。地方部は、原告が被告の提出物に照らして予備的請求を提出することを決断したという事実は、それ自体では、特許の有効性に関する疑義を提出するものではない、と判断しました。

 地方部はまた、有効性に関する当事者対立の訴訟が暫定措置命令の請求に与える影響についても取り上げました。UPCは、特許がそのような訴訟で有効性が支持されたかどうかを検討する必要があり、支持された場合には本件訴訟においても有効性の強力な指標となりますが、10x Genomics社の本件特許が未だそのような訴訟を生き抜いた経験がないという事実は、特許の有効性が暫定措置命令を認めるのに十分なほど確実であるとの判断を妨げるものではありませんでした。

(4)暫定措置命令の必要性について

 上記のように地方部は、Curio社が10x Genomics社の特許を、どちらかと言えば侵害しているであろうと判断し、かつ本件特許の有効性が十分確かであると判断た上で、暫定措置命令を発する必要性について判断しました。暫定措置命令は、侵害行為の継続を防止するため、または少なくとも侵害の恐れを防止するために必要とされるものです(UPC手続規則206.2(c)参照)。UPC手続規則によれば、暫定措置命令の必要性については、「時間的状況(temporal circumstances)」および「実質的状況(substantive circumstances)」の両方が関連しています。

 (ⅰ)「時間的状況」の関連性について

 「時間的状況」の重要性は、UPC手続規則209.2(b)に規定する「緊急性(urgency)」に加えて、特にUPC手続規則211.4に由来しており、この条項は、裁判所は暫定措置の請求における不当な遅延を考慮すると規定しています。

 時間的状況について地方部は、侵害されている可能性がある特許を有する当事者が、有望な法的措置を確実に可能にするために必要なすべての情報と文書を入手したら、1か月以内に暫定措置命令の請求を提出しなければならない、と述べました。

 10x Genomics社からCurio社に送られた2通の書簡は、Curio社によって証拠として裁判所に提出されましたが、申立てられた侵害について10x Genomics社が積極的に知っていたことを証明できませんでした。最初の書簡は、10x Genomics社の既存の特許ポートフォリオについて一般的な言葉で言及しただけで、Curio社の製品が世界中で流通する前に送られました。2番目の書簡は、10x Genomics社がCurio社の製品を知っていたことを示唆していましたが、本件特許が有効化されている締約国での潜在的な侵害活動について、より早い時期から知っていたとは示していませんでした

 被告が侵害について積極的に知っていたことを証明できない場合、地方部は、侵害に対する「重大な過失による無知」または「故意の無知」は同等とみなされると判断しました。しかし、地方部は、原告は「市場を観察する一般的な義務はない」とも指摘した。この事件では、地方部は、10x Genomics社がさらなる調査義務を引き起こすような侵害を示唆する具体的な情報を持っていたことが証明されなかった、と判断しました。

(ⅱ)「実質的状況」の重要性について

 暫定措置命令を決定する際には、実質的状況も考慮されなければならないことは、例えば、暫定措置命令を決定するに際して、申立人が被る可能性のある潜在的な損害についても特に考慮されなければならないと規定するUPC手続規則211.3からも明らかです。対照的に、被告が被る可能性のある損害は、利益の比較衡量において考慮されなければなりません(2023年9月19日付け決定(UPC_CFI_2/2023:ミュンヘン地方部)、および2024年4月9日付け決定(UPC_CFI_452/2024:デュッセルドルフ地方部)。

 地方部は、申立てられた侵害により10x Genomics社が損害を受ける恐れについても分析しました。その結果、Curio社と10x Genomics社の製品は、研究者や研究機関という同じターゲット層を対象としていることが判明しました。地方部は、研究者は、結果の比較可能性がないことから研究プロジェクトの途中で製品を簡単に交換できないため、顧客関係は長期にわたる可能性があり、プロジェクト全体をカバーするのに十分な量のキットが注文されるであろうと結論付けました。

 したがって、地方部は、時間的観点および実質的観点から暫定的措置命令が必要であると判断し、仮差止命令を発行しました。

(5)裁判費用について

 各当事者が部分的に勝訴したことから、地方部は各当事者に、相手方の費用を10万ユーロで暫定的に弁済するよう命じました。さらに、Curio社が差止命令に従うことを確実にするため、地方部は、Curio社が地方部の命令に違反した場合、1日あたり最大10万ユーロの罰金を支払うよう命じました。

 このように、UPCは、各当事者に有利に働いた争点の数に基づいて、仮差止命令請求にかかる費用を当事者間で配分する場合があることに留意すべきです。

(6)担保の提供について

 地方部はまた、10x Genomics社に対して、Curio社に対する差止命令を執行する前に担保を提供するよう要求しました。UPC手続規則211.5に従い、UPCは仮差止命令を求める請求人に対して、UPCが後に差止命令を取り消した場合に備えて十分な担保を提供するよう命じることができます。UPC手続規則352.1によると、この担保は、相手方の訴訟費用や執行に関連するその他の費用を賄うとともに、相手方が被った、または被る可能性のある損害を補償することを目的としています。地方部は、Curio社が被る可能性のある損害を正確に見積もることは困難であると判断しましたが、紛争の確定価値は十分な指標となりました。そのため、地方部は担保額を200万ユーロに設定しました。

 このように、UPCは、仮差止命令を求める請求人に、紛争の価値と等価な保証金(担保)を差し出すよう命じる場合があることに留意すべきです。

(7)考察

この事例はUPC地方部が仮差止命令の請求をどのように評価するかについての洞察を与えてくれます。暫定措置の必要性を判断する上で、請求人が侵害の明確な認識を得たら速やかに行動し、侵害が疑われる場合にはさらに調査することが重要であると思われます。しかし、これは潜在的な請求人に市場を観察する義務を課すものではないことに注目すべきです。

 

[情報元] 

① McDermott News “Legal Lens on the Unified Patent Court | June 2024 : NOTABLE CASE & POTENTIAL IMPACT  10X GENOMICS, INC. V. CURIO BIOSCIENCE INC.”

(https://www.mwe.com/insights/legal-lens-on-the-unified-patent-court-june-2024/)

② “Order of the Court of First Instance of the Unified Patent Court Local Division in Düsseldorf

issued on 30 April 2024 concerning EP 2 697 391 B1”(本件UPC第一審判決原文)

(https://www.unified-patent-court.org/sites/default/files/files/api_order/57F7F4C3DFF526A7CF11C8ED8A52EBCE_en_0.pdf)

③ D Young & Co, IP Cases and Articles “UPC preliminary injunction update: 10x Genomics v Curio Bioscience”

(https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/upc-preliminary-injunction-10x-genomics-curio-bioscience)

[担当]深見特許事務所 堀井 豊