クレーム解釈に関する拡大審判部への付託G1/24、ならびに 審査および異議申立手続の継続に関する欧州特許庁からの通知
欧州特許庁(EPO)審判部は、Philip Morris Products SAの特許EP 3076804 B1(以下「本件特許」)を審査段階で付与されたとおりに維持するというEPO異議部の決定に対する審判T0439/22(技術審判部3.2.01が担当)の2024年6月24日付け中間決定において、拡大審判部に対してクレーム解釈に関する質問を付託(G1/24)しました。
以下に述べるように、EPOにおけるクレーム解釈のアプローチに統一性がなく、また、最近の統一特許裁判所(UPC)の判決では、特許の明細書および図面を常に参酌する必要があることが示唆されており、EPOとUPCの間のアプローチにも潜在的な相違があることが浮き彫りになっています。このような状況に鑑みて、付託G1/24は、特許性を評価する目的で特許クレームを解釈するための法的根拠、その中でも特に、明細書の記載と図面が使用されるかどうか、およびどの程度使用できるかの明確化を求めるものです。
EPOは2024年7月1日、法的確実性を確保し、すべての利害関係者の利益のために、技術審判部3.2.01が拡大審判部に質問を付託したこと、および当該付託(G1/24)が拡大審判部に係属している間、審査および異議申立手続を中断することなく継続することを通知しました。
1.本事案の背景
(1)本件特許の概要
本件特許の技術分野は、主として加熱式タバコに用いられる加熱エアロゾル発生物に関しており、本件特許クレームは、エアロゾル形成材料の「集合体シート(gathered sheet)」を有するエアロゾル形成基質を含む加熱エアロゾル発生物の発明を記載しています。
(2)特許異議申立人の主張
本件特許に対する異議申立人は、「集合体(gathered)」という用語について、本件特許の明細書の段落[0035]に「巻き込まれ(convoluted)、折り畳まれ(folded)、またはその他の方法で圧縮または収縮された」材料を意味するものと定義されていることに着目し、欧州特許条約(EPC)69条(1)但し書きの「明細書及び図面は,クレームを解釈するために用いられる」との規定に基づいて、明細書の段落[0035]を参酌して本件特許クレームを解釈すべきであると主張しました。
加熱式タバコ等に関連する本件特許の技術分野では、当業者は一般に、「集合体シート(gathered sheet)」として通常使用されるのは、折り目を有する筒状のシートであると認識していました。したがいまして、異議申立人は、本件特許発明の「集合体シート」は、その明細書の段落[0035]の開示により、「巻き込まれ、折り畳まれ」た、「折り目を有する」ものだけではなく、「その他の方法で圧縮または収縮された」ものをも含むため、本件特許の技術分野で通常使用されると当業者が認識するもの以外の集合体シートを広く包含すると主張しました。
異議申立てにおいて本件特許発明の新規性判断のために引用された先行文献(EP 2 368 449 A1およびWO 2011/117750 A)は、その明細書および図面に、「集合体シート」として、長手方向に均等な円筒状のシートが開示されていますが、本件特許の技術分野で一般に使用されるような、折り目を有するシートは開示されていません。しかしながら異議申立人は、本件特許クレームの発明が、上述のように、本件特許の技術分野で通常使用されると当業者が認識するもの以外の集合体シートを包含するとの解釈に基づいて、引用された先行文献に開示された「集合体シート」を包含するため、当該先行文献により、本件特許発明は新規性がないと主張しました。
(3)異議部の決定
上述した異議申立人の主張は、特許発明の新規性判断に際してのクレームの解釈のアプローチとして、明細書および図面による開示内容を参酌することを前提とするものです。それに対して異議部は、クレーム解釈に際して明細書および図面の開示を参酌するのは、クレームの不明確な記載を明確にするために必要な場合に限られるという、クレームの優位性に基づく立場を採りました。そのようなアプローチにより、本件特許クレームに記載の発明の「集合体シート」は、本件特許の技術分野の当業者の一般的な認識に基づいて、折り目を有する筒状のシートに限定して解釈すべきであると判断しました。そのような集合体シートは先行技術文献に開示されていないことから、異議部は、本件特許クレームの発明は先行技術文献に開示の集合体シートを包含せず、したがって、本件特許発明は当該先行技術文献により新規性が阻害されないと判断しました。
(4)欧州における特許のクレーム解釈の動向
(i)過去の審判の決定で示されたクレーム解釈の2つの可能なアプローチ
技術審判部3.2.01は、審判T439/22の中間決定において、クレームを解釈するための法的根拠の相違について議論し、審判部内において技術審判部の間に以下の(イ)、(ロ)の点で意見の相違があることから、クレームが有効であるかどうかを判断することはできないと考えました。
(イ)特許クレームを解釈する際に、図面と明細書の記載を考慮に入れる前に、そのクレームの記載自体が不明確または曖昧であることが示されなければならないかどうか。
(ロ)特許がそれ自体の辞書としての役割を果たす範囲。
中間決定では、クレーム解釈について、過去の複数の審判の決定で示された、次の2つの可能なアプローチがあり得ることに言及しています。
(a)クレームの文言をまず単独で検討し、明細書と図面は明確化のためだけに参照するというアプローチ(例えば、審判T0169/20の決定)。
(b)EPC69条(1)[1]第2文およびその解釈に関する議定書1条[2]に従い、クレームを解釈する際には明細書の記載を考慮に入れるというアプローチ(たとえば、審判T1473/19の決定)。
(ii)クレーム解釈に関する統一特許裁判所の判決の引用
審判T439/22の中間決定はまた、その「決定の理由」の項目4.3.4において、統一特許裁判所(UPC)の控訴裁判所の判決(UPC CoA 335/2023)[3]の一節を引用しました。当該判決には、概ね次の点が述べられています。
(イ)特許クレームの解釈は、使用される文言の厳密で文字通りの意味のみに依存するものではなく、むしろ、明細書および図面は、特許クレームの曖昧さを解決するためだけでなく、特許クレームの解釈のための説明補助として常に使用する必要がある。
(ロ)特許クレームの解釈に関するこれらの原則は、侵害の評価と欧州特許の有効性に等しく適用される。
この一節から、統一特許裁判所は、クレーム解釈の上記(b)のアプローチが、特許侵害の評価および欧州特許の有効性の判断のいずれの場合にも適用されるという立場を採っていると言えます。
2.本件審判の請求と、その中間決定における付託G1/24
(1)本件審判T439/22の請求人の主張
本件特許に対する異議申立において異議部は、上述のように、上記(a)のアプローチにより、クレームにおける「集合体シート」の定義が、明細書や図面を参酌するまでもなく当業者にとって明確であり、当業者にとって明確に把握される本件特許の「シートの集合体」は、明細書の記載により定義される広い概念を包含するものではないことから、先行技術文献に開示された「集合体シート」を包含するものではなく、したがって本件特許発明は、当該先行技術文献によって新規性を阻害されるものではないとの立場を採りました。
それに対して本件審判T439/22の請求人(特許異議の申立人)は、異議部の決定に対して審判を請求しました。審判請求書において審判請求人は、上記(b)のアプローチにより、本件特許の明細書に記載の、より広範囲の態様を含む「集合体」の定義が、タバコ材料のシートとして技術的に理にかなっており、当該技術分野で確立された意味と矛盾していないことから、特許クレームの「集合体シート」はそのように定義され、したがって新規性判断のための先行技術文献に開示の「集合体シート」を包含するため、本件特許クレームは新規性がないと主張しました。
(2)拡大審判部への付託G1/24の内容
以上のような状況を踏まえて、技術審判部3.2.01は、本件審判の中間決定において、クレームの解釈に関する法的問題を拡大審判部に付託しました。
欧州特許条約(EPC)第69条(1)によると、欧州特許または特許出願による保護範囲の範囲は、クレームによって決定されます。但し、明細書及び図面は、クレームを解釈するために用いられるものと規定されています。
付託された法的問題は、特許出願の審査中のクレームの解釈に関するものであり、付託の内容は以下の通りです。
(i)審査段階において、特許要件を規定するEPC52条~57条に基づいて発明の特許性を評価する際の特許クレームの解釈にも、EPC69条(1)およびその解釈に関する議定書の1条が適用されるべきかどうか。
(ii)特許性を評価するためにクレームを解釈する際に、明細書と図を参照できるかどうか。もしそうなら、これは一般的に行われるか、あるいは、クレームが単独で読まれたときにクレームが不明瞭または曖昧であると判断した場合にのみ行なうことができるのか。
(iii)クレームにおける用語の定義が明細書に明示的に示されている場合、特許性を評価するためにクレームを解釈する際に、この定義を無視することができるかどうか。もしそうなら、どのような条件下でその定義を無視できるのか。
3.拡大審判部からの回答への期待
拡大審判部は、まず、付託が許容されるかどうか、特に、法律の統一的な適用を確保するために決定が必要であるという審判部の主張が正しいかどうか、および/または基本的に重要な法律上の論点が生じたかどうかを決定しなければなりません。
付託が許容されると拡大審判部が判断した場合、付託に対して拡大審判部がどのような答えを出すか、興味深いところです。付託に対する答えの内容によっては、UPCとEPOとが、クレーム解釈のアプローチの相違に起因して、特許の有効性について互いに異なる結論に達する可能性もあります。
したがって、拡大審判部が今回の付託を検討するに際して、特許の有効性判断に関してUPCとの間に齟齬が生じることのないような答えを出すことにより、欧州における特許の有効性判断が将来的に統一的に行なわれることが期待されます。
4.付託G1/24を踏まえたEPOからの通知
付託された質問に対する回答は、EPOにおける審査手続及び異議申立手続に大きな影響を与える可能性がありますが、EPOの適切な機能を確保し、法的確実性を確保するために、EPOは、審査部及び異議申立部における手続は、付託への拡大審判部の答えが出るまでの間も、中断されることなく引き続き行なうべきであると判断し、2024年7月1日にその旨の通知を出しました。
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EPC69条(保護の範囲)の(1)は次のように規定しています。
(1)欧州特許又は欧州特許出願により与えられる保護の範囲は,クレームによって決定される。ただし,明細書及び図面は,クレームを解釈するために用いられる。
EPC69条の解釈に関する議定書1条は、概ね次の事項を規定しています。
第69条は、欧州特許によって付与される保護の範囲が、クレームに用いられた文言の厳密で文字通りの意味によって定義されるものと理解されるべきでなく、
その説明と図面は、クレームに見られる曖昧さを解決するためだけに使用されていることを意味すると解釈されるべきではない。
また、クレームがガイドラインとしてのみ機能すると解釈されるべきではなく、
付与された実際の保護が、当業者による明細書および図面の検討から、特許権者が考えていたものにまで及ぶ可能性があることを意味するものと解釈されるべきではない。
むしろ、特許権者に対する公正な保護と第三者に対する合理的な法的確実性を組み合わせた、これらの両極端の間の位置を定義するものと解釈されるべきである。
控訴裁判所の判決(UPC CoA 335/2023)については、弊所ホームページの「国・地域別IP情報」において2024.05.08付で、「UPC控訴裁判所による最初の実体的判決」と題した記事を配信しています。
[情報元]
1.IP Alert Patents (Lavoix Communication) “Continuation of examination and opposition proceedings in view of referral G 1/24”
2.D Young & Co Patent Newsletter No.102 August 2024 “Interpreting patent claims: G 1/24 seeks Enlarged Board of Appeal clarification”
https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/g124-patent-claims-enlarged-board-appeal
3.EPO website, News & events, “Referral on claim interpretation (G1/24)”
https://www.epo.org/en/news-events/news/referral-claim-interpretation-g124
4.T 0439/22 (Gathered sheet) 中間決定原文24-06-2024
https://www.epo.org/en/boards-of-appeal/decisions/t220439eu1
5.「EPO審判部、クレームの解釈における明細書及び図面の参酌について拡大審判部に付託」(2024年7月1日)JETRO デュッセルドルフ事務所
https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Ipnews/europe/2024/20240701.pdf
[担当]深見特許事務所 野田 久登