印刷物の法理に関するCAFC判決
米国連邦巡回裁判所(CAFC)は、争点に関わるクレームの記述を検討し、その記述は印刷物(printed matter)に向けられていないとして、印刷物の法理(printed matter doctrine)に関する米国特許商標庁(USPTO)の特許審判部(Patent Trial & Appeal Board: PTAB)の決定を覆しました。IOEngine, LLC v. Ingenico Inc., Case No. 21-1227 (Fed. Cir. May 3, 2024) (Lourie, Chen, Stoll, JJ.)
1.事件の経緯
(1)IPRの請求
Ingenico Inc.(Ingenico)は、IOENGINE,LLC(IOENGINE)が所有する3つの特許(米国特許8,539,047(’047特許)、米特許9,059,969(’969特許)、米特許9,774,703(’703特許))の数多くのクレームに対して、米国特許商標庁(USPTO)に当事者系レビュー(IPR)を申し立てました。これらの特許はすべて、明細書およびタイトル(トンネリングクライアントアクセスポイントのための装置、方法、およびシステム)が共通しており、「端末と通信するように構成されたポータブルデバイス」をクレームしていました。
申立対象のクレームの中には、「暗号化通信(encrypted communications)」という記述を含む’969特許のクレーム4、並びに「プログラムコード(program code)」という記述を含む’969特許のクレーム7および’703特許のクレーム61,62,110,111が含まれていました。
(2)PTABの決定およびCAFCへの控訴
PTABは、申立対象の数多くのクレームを新規性または自明性の観点で特許性無しとする最終書面決定を下しました。とりわけ、PTABは、クレームに含まれる「暗号化通信」および「プログラムコード」という記述に「印刷物の法理」を適用し、これらの記述は通信の内容(communicative content)に過ぎないと判断し、「特許性を有する重み(entitled to patentable weight)」をこれらに与えることなく、これらの記述を含むクレームに新規性が存在しないと結論付けました。
IOENGINEは、PTABの結論を不服とし、いくつかの争点を議論の対象として上級審であるCAFCに控訴しました。いくつかの争点には、印刷物の法理に関するPTABの判断が含まれていました。
本稿では、印刷物の法理に関する争点に絞って本判決を解説します。
2.印刷物の法理について
初めに、印刷物の法理について本件判決の一部を引用することによって以下にご紹介します。CAFCは、印刷物の法理について判例を引用しつつ、次のように説明しています。
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「本法廷およびその前身(※税関特許控訴裁判所)は、特定の『印刷物(printed matter)』が米国特許法の下では特許対象の範囲外であることを長期に亘り認識」してきた。C R Bard Inc. v. AngioDynamics, Inc., 979 F.3d 1372, 1381 (Fed. Cir. 2020) (AstraZeneca LP v. Apotex, Inc., 633 F.3d 1042, 1064 (Fed. Cir. 2010); In re Chatfield, 545 F.2d 152, 157 (CCPA 1976). しかしながら、「印刷物」は、歴史的には実際に「印刷された」物(printed material)を含むクレーム要素を指していたが、今日ではこの原則は、媒体に関係なく、その伝達(通信)内容(communicative content)について主張されるあらゆる情報を含むように拡大されている。
「印刷物の法理」の下で、限定(※注 問題となっているクレームの記述)に、特許性を有する重みを与えるべきかどうかを判断するために、2段階テストを適用する。第1に、問題の限定が印刷物に向けられているかどうかを判断する。In re Distefano, 808 F.3d 845, 848 (Fed. Cir. 2015).「限定は、情報の内容をクレームする場合にのみ、印刷物に該当する。」言い換えれば、印刷物は「それが伝える内容についてクレームされるもの」である。「問題の限定が印刷物であると判断された場合にのみ」、2番目のステップに進み、「それでもなお、特許性を有する重みを印刷物に与えるべきかどうか」を検討する。 「印刷物は、主張された情報内容が基質(substrate)と機能的または構造的な関係にある場合に、そのような重みが与えられる。」
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3.「印刷物の法理」の適用が問題とされたクレームの記載
(1)暗号化通信
’969特許のクレーム4
- The portable device according to claim 2, wherein the communication caused to be transmitted to the communication network node facilitates the transmission of encrypted communications from the communication network node to the terminal.(下線は筆者)
(仮訳)クレーム2に記載の携帯機器であって、通信ネットワークノードに送信されるようにした通信は、通信ネットワークノードから端末への暗号化通信の送信を容易にする。
(2)プログラムコード
’969特許のクレーム7
- The portable device according to claim 2, wherein the communication network node comprises a database and the communication caused to be transmitted to the communication network node facilitates the download of program code on the communication network node to the terminal. (下線は筆者)
(仮訳)クレーム2に記載の携帯機器であって、通信ネットワークノードはデータベースを備え、通信ネットワークノードに送信される通信は、通信ネットワークノード上のプログラムコードを端末にダウンロードすることを容易にする。
※’969特許のクレーム61,62,110,111にも、”the download of program code”という記述が存在しますが、ここではそれらのクレームの紹介を省略します。
4.PTABの判断(印刷物の法理の適用について)
(1)「暗号化通信」
PTABは、’969特許のクレーム4に関して、暗号化通信という記述は、通信コンテンツ、すなわち印刷物のみをクレームしていると判断しました。なぜなら、たとえデータが暗号化形式であっても(形式が限定されているとしても)、データを送受信すること以外の事項は、クレームに存在しなかったためです。
PTABは、さらに、暗号化データとそれを運ぶ通信との間に機能的な関係はないと判断しました。なぜなら、クレームには「データが使用または操作されること」や「データの送信処理」を超えるような、暗号化データへの何らかの処理が何ら限定されていなかったためです。このため、PTABは、問題の限定には特許性を有する重みを与えるべきではないと結論付けました。
(2)「プログラムコード」
PTABは、’969特許のクレーム7に関して、プログラムコードをダウンロードするという記述は、コミュニケーションであるコードのダウンロード(送信または伝送)に限定されており、その他の機能はクレームに記載されていないため、クレーム7のプログラムコードは、特許に値する重みに該当しないと判断しました。同様に、PTABは、’969特許のクレーム61~62、110~111に関して、プログラムコードは、ダウンロードされる情報の内容であるために印刷物であると判断し、ダウンロードされるコードは、単に一般的なもので、ポータブルデバイス等と機能的な関係がなく、特許性を有する重みに該当しないと判断しました。
5.CAFCの判断
CAFCは、IOENGINEが主張する複数の争点のうち、印刷物の法理に関わる争点以外についてはPTABの判断を支持する一方、印刷物の法理が適用されなかったクレームについては、新規性および自明性に関するPTABの結論に同意しませんでした。
CAFCは、印刷物の法理における「印刷」とは、具体的に通信されるコンテンツ(communicative content)自体がクレームされたものであって、そこに「通信(communication)」が存在するという事実自体はコンテンツではなく、コンテンツとは「通信」が実際に言い連ねていること(content is what the communication actually says)であり、通信が暗号化されているか否かといった通信形式はコンテンツとはいえず、「印刷物」は、通信行為ではなくて通信コンテンツまたは情報を含むものである、と説示しました。
その上で、CAFCは、Distefano判決を引用し、患者に食品と一緒に薬を服用するように指示するラベルやDNA検査の実施方法に関する指示などは印刷物に該当するが、問題のクレームにおいては「暗号化通信」に関して具体的に通信するコンテンツが規定されていないので、「暗号化通信」は「印刷物の法理」における「印刷物」を構成しないと判断しました。CAFCは、「プログラムコード」に関しても同様に、「プログラムコード」の内容についてはクレームにまったく規定されていないので、「印刷物の法理」における「印刷物」を構成しないと判断しました。
さらに、CAFCは、「暗号化通信」と「プログラムコード」は、通信するコンテンツについて規定されていないために印刷物ではないが、それを「印刷物である」と結論づけるとしたならば、そのことは、印刷物の法理を現行の範囲を遙かに超えて不当に拡大することになると説示しました。CAFCは、問題のクレーム要素が印刷物でないので、上述の2段階テストの2番目のステップに進むことなく、検討を終了するとしました。
CAFCは、’969特許のクレーム4および7、並びに’703特許のクレーム61~62および110~111に関する特許無効のPTABの決定を破棄し、その他のすべてのクレームに関する特許無効のPTABの決定を支持すると結論しました。
6.コメント
本件においては、その内容に言及のない「暗号化通信」および「プログラムコード」というクレームの記述のいずれについても、「印刷物の法理」が対象とする「印刷物」に該当しないと判断されましたので、問題のクレームはそれらの記述が考慮されてPTABによって改めて審理されることになります。したがいまして、PTABは、問題のクレームの新規性あるいは自明性を再検討する際に、「暗号化通信」あるいは「プログラムコード」に相当する記載が引用例に存在するか否かを慎重に検討する必要が生じるのでしょう。このことからしますと、その内容に言及のない「印刷物のような限定事項」は、米国特許法102条あるいは103条によってクレームを拒絶・無効にするハードルを高くする働きを有する、といえるのかもしれません。
[情報元]
① McDermott Will & Emery IP Update | May 16, 2024 “Say What Recitation Entitled to Patentable Weight When Not “Communicative Content””
② IOEngine, LLC v. Ingenico Inc., Case No. 21-1227 (Fed. Cir. May 3, 2024) (Lourie, Chen, Stoll, JJ.)(判決原文)
https://cafc.uscourts.gov/opinions-orders/21-1227.OPINION.5-3-2024_2312399.pdf
[担当]深見特許事務所 中田 雅彦