UPC裁判文書の公開基準に関する控訴審決定
1.事件の概要
統一特許裁判所(UPC)の第一審裁判所である北欧・バルト地域部(the Nordic-Baltic Regional Division)は、原告の訴状がすべての被告(関連企業全8社)に送達される前に和解により終了した特許権侵害事件において、UPC手続規則262.1(b)に基づいて訴状などの裁判書類にアクセスすることを要求した第三者の弁護士による申立に対して、これを認める決定を出しました。
この決定に対して侵害訴訟の原告が不服を申し立てた控訴審において、UPCの控訴裁判所(the Court of Appeal)は第一審の決定を支持し、控訴を棄却する決定を出しました。
なお、UPC手続規則262.1(b)は、個人データに関するEU一般データ保護規則(General Data Protection Regulation)の遵守を確実にするように意図された規定であり、「裁判所に提出され、登録局に記録された書面による訴状および証拠(written pleadings and evidence)は、登録局に対する正当な要求に応じて一般に公開される:この決定は、当事者と相談した後に、報告担当裁判官によってなれるものとする」と規定しています。UPC手続規則の条文(英語原文)については、下記情報元⑤をご参照下さい。
この控訴事件の特定情報は以下の通りです。
・裁判所:控訴裁判所(ルクセンブルグ)
・控訴審事件番号:UPC_CoA_404/2023
・判決日:2024年4月10日
・控訴人(侵害訴訟の原告):Ocado Innovation Limited(以下、「Ocado社」)
・被控訴人(手続規則262.1(b)に基づく申立人で侵害訴訟の非当事者):氏名不詳
2.事件の経緯
(1)2023年6月にOcado社は、Autostore Holdingsに属する8社に対する特許権侵害訴訟をUPCの北欧・バルト地域部に提起し(ACT_459791/2023)、裁判所に対して、欧州の特定の国でOcado社の欧州特許が侵害されたと宣言し、それらの侵害に基づく命令(恒久的差止命令を含む)を発行するように請求しました。
(2)しかしながら、被告8社のすべてに訴状が正式に送達される前に、原告は、当事者とその関係者が和解を締結したことを裁判所に通知し、侵害訴訟の取り下げを請求しました。被告は和解を確認し、訴訟の終了に異議はありませんでした。訴訟手続きは2023年9月8日に終了したと宣言されました。
(3)同じ当事者間で他の特許に基づく並行訴訟がUPCのデュッセルドルフ地方部およびミラノ地方部で開始されていましたが、これらも取り下げられました。
(4)UPCの登録局は、上記の北欧・バルト地域部の事件に関連して、UPC手続規則262.1(b)に基づく申立を受けました。申立人は、この事件の「訴状(the statement of claim)」および「この事件でなされた何らかの命令(any order made in this case)」にアクセスすること、および可能であれば、デュッセルドルフ地方部およびミラノ地方部における同じ当事者間の並行訴訟でなされた命令にアクセスすること、を求めました。
3.申立人の主張
この申立を裏付けるために、申立人は、とりわけ、北欧・バルト地域部に提出された訴えが他の地方部の事件と並行して提出されたため、その訴えがどのように組み立てられたのかを知ることに関心があること、および、新しい裁判制度が開始され発展するにつれて、この情報が公衆の精査と議論のために公開されることに、より広範な公共の利益があると考えていること、を述べました。
4.侵害訴訟の原告の主張
UPC手続規則262.1(b)によれば、報告担当裁判官(judge-rapporteur)は当事者と協議した後、申立について決定を下すことになります。当事者は、手続規則262.2に基づく要求を含め、コメントや意見を提出するよう求められています。侵害訴訟の原告であるOcado社は、主に以下の主張に基づいて、申請に異議を唱えました。
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・手続規則262.1(b)は「書面による訴状および証拠」に関するものであり、命令の提供には関係がない。そのような文書の提供を要求する法的根拠がないため、手続規則262.1(b)に基づいて侵害訴訟でなされた命令を申立人に提供するという要求は拒否されなければならない。
・申立人は、他のすべての人と同様に、命令がWebサイト上で公開されるのを待つ必要がある。
・書面による訴状および証拠に関しては、手続規則262.1(b)で「理由のある要求」が求められており、これは、文書を一般の人々に公開するには、具体的で検証可能かつ正当な理由が必要であることを意味する(例:ミュンヘン中央部による2023年9月20日付命令番号550152、ACT_459505/2023)。
・第三者が、自身の商業的利益を促進する目的で、当事者がかなりの費用をかけて慎重に作成した訴状を使用することは許可されるべきではなく、原告は、訴状の検討から得られた知識が実際にどのように適用されるかを検証する方法がない。
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申立が認められた場合、原告は、控訴審の結果が出るまで申立人への文書の提供が保留されることを要求するか、または少なくとも、命令の日から21日後までは申立人に文書が提供されないことを要求することができ、これによって、原告が手続規則223にしたがって控訴裁判所に訴訟停止を申し立てるのに十分な時間を確保することができます。
侵害訴訟の被告代理人はUPCの事件管理システム(the Case Management System:CMS)で事件にアクセスできませんでしたが、被告に代わってCMS外で送達を確認し、被告が回答を提出しないことを決定したことを電子メールで裁判所に通知しました。侵害訴訟の当事者のいずれも、手続規則262.2条に基づく機密保持の要請を提出していませんでした。
5.第一審裁判所の判断
第一審裁判所である北欧・バルト地域部は、規則(EU)2016/679の意味における個人データの削除後、申立人に訴状へのアクセスを命じました。要約すると、報告担当裁判官は、UPC協定第45条が、裁判所の書面による手続も原則として一般に公開されるべきであることを意味し、かつアクセスを希望する理由について申立人が信頼できる説明を行えば、情報を秘密にしておく必要がない限り、申立が承認されるべきことを意味する、と判断しました。
Ocado社はこの命令に対して控訴し、申立人が訴状にアクセスすることを拒否するよう求めました。
6.控訴審の判断
(1)関連する規定
控訴裁判所はまず、登録局および事件ファイルへのアクセスに関するUPC協定およびUPC手続規則の規定を説明しました。
① UPC協定の規定
UPC協定の第10条第1項は、「登録局が保管する記録は公開されるものとする」と規定しています。
UPC協定の第45条は、「裁判所が、当事者のいずれかまたはその他の関係者の利益のために、または正義や公共の秩序の一般的な利益のために、必要な範囲において非公開と決定しない限り、手続きは一般に公開されるものとする」と規定しています。
② UPC手続規則の規定
UPC手続規則262.1(b)は、「裁判所に提出され、登録局に記録された書面による訴状および証拠」の公開の可能性と要件を規定し、UPC協定の上記規定を補足しています。
(2)控訴裁判所の決定
UPC手続規則262.1(b)について控訴裁判所は、規則262.1(b)に基づくアクセス要求では、UPCは、機密情報および個人データを保護することによる利益ならびに司法と訴訟の公正さにおける一般的な利益に対して、アクセスを求める一部公衆の利益を比較検討する必要がある、と説明しています。したがって、アクセス要求には次のことが必要です。
・申立人が取得しようとしている訴状および証拠を特定すること
・要求の目的を明記すること
・特定された訴状および証拠へのアクセスが特定の目的のために必要である理由を説明すること
控訴裁判所はまた、一般的に公衆が、UPCの決定をよりよく理解し精査するために(そしてさらに科学的および教育的目的のために)、書面による訴状および証拠にアクセスすることに関心を持っていることを認識しています。ただし、この一般的な関心は、UPCが決定を下した後にのみ発生します。そのような決定の前には、外部の当事者による影響および干渉から訴訟の公正さを保護するという強力な相反する利益があります。控訴裁判所は、これらの利益のバランスを取り、最終判決または和解のいずれかによって訴訟が終了した後に、書面による訴状と証拠へのアクセスを許可するのが通常は適切であると判断しました。
ただし、一部公衆が特定の事件の書面による訴状や証拠に特定の関心を持つ場合もあります。たとえば、競合他社、ライセンシー、または被疑侵害者は、問題となっている特許の有効性や訴訟の技術的主題に関心を持つ場合があります。前述の一般的な関心とは異なり、この特定の関心は訴訟が終了する前に発生することがよくあります。この特定の関心と、訴訟の公正さを保護することに関する一般的な利益とを比較検討した結果、控訴裁判所は本件において、訴訟が終了する前にアクセスを許可する場合、UPCが特定の機密保持義務を課す可能性があるものの、このバランスは一般的には訴状と証拠への即時アクセスを許可する方に有利に働くと判断しました。
これらの原則をOcado社の訴状に対する非当事者の要求に適用したところ、控訴裁判所は、要求が一般的な関心を特定しており、かつ訴訟が和解によって終了した後に行われたため、利害のバランスが、資料へのアクセスを許可する方が有利に働いたと判断しました。
7.今後の申立の取り扱いについて
UPCはまだその枠組みを定義している最中であるため、本件訴訟において控訴裁判所が下したような決定は、UPC協定およびUPC手続規則の一貫した解釈を確立するために重要です。第三者による事件ファイルへのアクセスは、UPCにおける透明性および信頼性を強化するために不可欠であるため、手続規則262.1(b)の実際の適用は特に重要です。本件訴訟の決定以前には、UPCは第三者によるアクセスに厳格な要件を課し、「正当な要求」とは何かについて制限的な見方をしていました。たとえば、ミュンヘンの中央部は、具体的かつ検証可能な正当なアクセス理由がないため、2件のアクセスの申立を拒否し、申請は個人的および職業的な好奇心と教育およびトレーニングへにおける関心とに基づいていると判断しました。
ただし、本件訴訟を適用するUPCの決定は、より柔軟なアプローチに従っているようです。たとえば、2024年4月24日に、パリの中央部は、訴訟における特定の関心に基づいて、裁判所文書への公衆のアクセスに関する決定を下しました。そこで、出願人は、欧州特許庁(EPO)で並行して異議申立手続きが係属中であるため、現在の取消事件のファイルと将来の提出書類へのアクセスを要求しました。UPCは、現在の事件ファイルへの即時アクセスを許可しましたが、将来の提出書類へのアクセスは拒否しました。UPCは現在の事件ファイルに機密情報が含まれていないと判断し、EPO手続きのために現在の事件ファイルにアクセスすることによる申立人の直接的かつ正当な利益が、UPC手続きの完全性に対する一般的な利益を上回ると判断しました。しかし、将来的にどのような資料が提出されるかわからないため、将来の訴訟での主張に好都合なように、先を見越してうまく調整することは不可能でした。そのため、UPC は将来の訴状へのアクセスを拒否しました。
重要なのは、手続規則262.1(a)の下に、決定や命令ではない裁判所作成の文書(たとえば、通知、承認、記録、事件スケジュールなど)にアクセスしたり、UPCの事件管理システムCMSでまだ公開されていない文書にアクセスしたりする法的根拠がないと、UPCが判断したことです。UPCが今後さまざまな利益をどのように評価するのか、そして、Ocado社の事件における控訴裁判所の最新の決定を受けて、事件ファイルへのより広範なアクセスを認めるようになるのかはまだわかりません。
[情報元]
①McDermott News “What’s the Latest on the Unified Patent Court? | May 2024 Update”
https://www.mwe.com/insights/legal-lens-on-the-unified-patent-court-may-2024/
②本件控訴審判決原文
③本件第一審決定原文
④UPC協定原文(英文)
⑤UPC手続規則原文(英文)
[担当]深見特許事務所 堀井 豊