UPCにおける並行訴訟の裁判管轄
並行訴訟(parallel proceedings)とは、同一特許に対して侵害訴訟および取消訴訟を提起することを意味しますが、その裁判管轄上の扱いについては、欧州の主要国の間でも伝統的に異なった取り扱いがされています。統一特許裁判所(UPC)協定の策定作業中に、UPCの中央部また地方部/地域部のどちらが取消訴訟または侵害訴訟の管轄権を有するべきかについても議論されました。その結果、設立されたUPCの裁判管轄の構造は、欧州の様々な法的伝統を利用した折衷案になりました。本稿では、並行訴訟に関するUPCの制度を説明するとともに、UPCの関連する近時の判決を紹介し、現状での留意点を明らかにします。
Ⅰ.欧州の主要国における並行訴訟の裁判管轄
UPCにおける並行訴訟の裁判管轄の説明に入る前に、欧州の主要国の状況について簡単に説明いたします。
1.ドイツ
ドイツの国内法では、特許訴訟は分岐された(またはダブルトラックの)システムに依存しています。侵害訴訟は地方裁判所(技術的資格を有さない判事で構成される)で審理され、無効訴訟は連邦特許裁判所(技術的資格を有する判事と法的資格を有する判事とで構成される)で取り扱われ、そして異議申立はドイツ特許庁または欧州特許庁(EPO)で(技術資格を有する審判官で構成される部門により)取り扱われます。侵害訴訟を担当する裁判所は、並行して無効または異議申立の手続きが行われている場合にのみ、侵害訴訟の手続きを停止することができます。
2.フランス、イタリア
ドイツの国内法に基づく分岐された制度とは異なり、フランスまたはイタリアの特許法の下では、無効および侵害は、同じ訴訟手続きにおいて同じ裁判所によって取り扱われ、無効が最初に評価されます。その結果、フランスまたはイタリアの特許法に基づいて裁判所によって特許が無効と評価された場合には、侵害の有無については認定することができません。
Ⅱ.UPCにおける並行訴訟の裁判管轄
1.裁判管轄の基本原則
UPC協定第32条第1項によると、UPCでの訴訟手続では、法的に単一の裁判所であるUPCが侵害訴訟および取消訴訟の双方に対する管轄権を有します(この点でフランス、イタリアの制度に類似します)。UPCは、第一審および控訴審からなり、第一審は、中央部と地方部/地域部とから構成されます。基本的に、個々の侵害訴訟については地方部/地域部が管轄権を有し(UPC協定第33条第1項)、個々の取消訴訟については中央部が管轄権を有します(UPC協定第33条第4項)。
2.並行訴訟の裁判管轄
このような基本原則に対して、同一特許に対して取消訴訟と侵害訴訟とが提起される並行訴訟の場合には、UPCを構成する別々の組織によって、取消訴訟と侵害訴訟とが別々に処理される場合があります。起こりえるケースについて以下に説明いたします。
(1)侵害訴訟の提起後に被告が取消の反訴を提起した場合
UPC協定第33条第3項により、地方部/地域部で係属中の侵害訴訟において、対象特許の取消を求める反訴が提起された場合、地方部/地域部は、次の3つの選択肢のいずれか1つで手続を進める裁量権を有します。
① 地方部/地域部が侵害訴訟および取消の反訴の両方を担当する(第33条第3項(a))
② 地方部/地域部が侵害訴訟を担当し、取消の反訴を中央部に付託する(第33条第3項(b))
③ 当事者の合意を得て、事件全体を中央部に付託する(第33条第3項(c))
地方部/地域部が選択肢②を選ぶ決定をした場合、地方部/地域部は、中央部の決定を待つ間、侵害訴訟を停止するのか、それとも侵害訴訟を並行して進めるか、を選択する必要があります。後者の場合、UPCは、後に取消される可能性のある特許の侵害について判決を下すことになり得ます。
(2)同じ当事者間で取消訴訟が係属中に侵害訴訟が提起された場合
基本原則の項で述べたように、UPC協定第33条第4項によれば、単独の取消訴訟は中央部に提起されなければなりません。そのような取消訴訟が中央部で係属中であるときに、取消訴訟の被告(特許権者)には、取消訴訟の原告(被疑侵害者)に対して侵害を主張するために、以下の3つの選択肢があります。
① 中央部での取消訴訟において侵害に対する反訴を提起する(UPC手続規則49.2(b))
② 管轄の地方部/地域部に別途侵害訴訟を提起する(UPC協定第33条第5項)
③ 中央部に別途侵害訴訟を提起する(UPC協定第33条第5項)。
選択肢①に基づいて侵害が主張された場合、中央部は取消および侵害の両方について判決を下すことになるでしょう。
一方、選択肢②では、地方部/地域部における侵害訴訟と中央部における取消訴訟とが並行して進行する可能性があります。2つの訴訟を統合するために、被疑侵害者は、地方部/地域部における侵害訴訟において取消反訴を提起することができます。UPC手続規則75.3に基づき、中央部での取消訴訟は、当事者が別段の合意をしない限り、地方部/地域部が、上記のⅡ.2(1)に列挙したUPC協定第33条第3項(a)~(c)の3つの選択肢①~③のいずれに基づいて訴訟手続を進めるのかを決定するのを待つ間、停止されなければなりません。
最後に、選択肢③では、当事者の共同要請によりまたは適切な司法運営のために一方の裁判所が侵害訴訟を停止しない場合には、または中央部の異なる裁判官合議体が訴訟手続に参加する場合には、中央部における2つの訴訟は並行して進行することができます(UPC規則295 (d)、295 (m)、および340)。
(3)異議申立、限定、または取消の訴訟がEPOまたは国内裁判所に係属中に、UPCで侵害訴訟または取消訴訟が提起された場合
分岐は、異議申立や限定請求がEPOに提出された場合において、または欧州特許の国内部分の有効性を争う取消訴訟が国内裁判所に提起された場合において、それと並行してUPCに取消訴訟や侵害訴訟が提起された場合にはいつでも起こり得ます。
たとえば、当事者は、EPOにおいて係属中の異議申立または限定請求の対象となっている特許に対して、取消訴訟または侵害訴訟をUPCに提起することができます(UPC協定第33条第10項)。同様に当事者は、国内裁判所で取消訴訟が係属中の特許に対して、UPCに侵害訴訟を起こすことができます。ただし、このような国内での取消訴訟は、欧州特許の対応する国内部分に関しては、UPCにおける取消訴訟よりも優先されます。したがって、同じ当事者間の同じ訴訟原因が関係する場合、UPCは手続きを停止します(登録EU規則1215/2012 Brussels I Recastの第71c条、第29条)。
さらに、UPCは、EPOからの迅速な決定が期待される場合(UPC協定第33条第10項)、または司法の適切な管理がそのように要求する場合にはいつでも(UPC手続規則295)、手続きを停止することができます。特許取消訴訟または特許侵害訴訟において同じ争点に関してUPCの2つの部の間で矛盾する判決が下されるリスクがある場合に、司法の適切な運用を確実にするために、訴訟手続きを停止する裁量権が適用されます。UPCは、UPC手続規則295 (m)に基づき、分岐による悪影響を回避するために、①職権により、または②当事者の要求により、手続きを停止することができます。この規則は、相反する決定から当事者を保護する、UPCに基づいて提供される手続きツールの1つを示しています。
Ⅲ.UPCにおける分岐された訴訟の最近の2つの例
中央部および地方部/地域部の裁判所が取消訴訟および侵害訴訟を並行して審理している分岐訴訟の最近の2つの例は、そのような状況で発生する可能性のある手続上の留意点を明らかにしています。
1.Amgen Inc. v. Sanofi
(1)事件の経緯
① 取消訴訟および異議申立の提起
この事件では、Sanofiの関連会社3社(以下、Sanofi社と総称)がAmgen Inc.(以下、Amgen社)の欧州特許3666797(以下、’797特許)の無効化を求めて、2023年6月にミュンヘンのUPC中央部に取消訴訟を起こすとともに、EPOには異議申立を行いました。
② 侵害訴訟の提起
数週間後、Amgen社はSanofi社およびRegeneron Pharmaceutical Inc.(以下、Regeneron社)に対して、Sanofi社およびRegeneron社の医薬品Praluentが’797特許を侵害していると主張して、UPCのミュンヘン地方部に侵害訴訟を起こしました。
③ 取消の反訴の提起
約5か月後、Regeneron社はミュンヘン地方部に取消の反訴を提起しましたが、Sanofi社は独自の反訴を提出しませんでした。
(2)考察
UPC協定第33条第3項に従って、地方部は、Amgen社の侵害訴訟とRegeneron社の取消反訴とを一緒に審理するか、反訴を中央部に付託するかを決定する必要がありました。反訴は中央部で審理されるべきであることに全当事者が同意したため、地方部は、中央部に付託すべきであるとの決定を下しました。その際、地方部は、一般的に、当事者の全会一致の付託希望が、異なる決定を要求する強い反論がない限り尊重されるべきであると指摘しました。
地方部はまた、「特許の関連クレームが無効と判断される可能性が高い場合」に停止を求めるUPC手続規則37.4に従って、取消手続における中央部の最終決定を待つ間、侵害訴訟を停止するかどうかを決定しました。ここで、地方部は、有効性に関する中央部の決定がなかったため、侵害訴訟を停止しませんでしたが、有効性について予想される第一審の判決が出るまで、侵害訴訟の期日間整理手続を6週間延期することを検討しました。
地方部によりますと、もしもSanofi社が地方部が有効性を判断することを望んでいただけなのであれば、独自の取消反訴を地方部に提出すべきであったということです。UPC手続規則75 (3)に基づいて、中央部は、UPC協定第33条第3項に基づく地方部による決定を待つ間、有効性に関する手続きを停止したでしょう。おそらく地方部は、侵害訴訟および取消反訴の両方を進めることを決定したことでしょう。
2.Meril v. Edwards Lifesciences Corporation
(1)事件の経緯
① 侵害訴訟の提起
この事件では、Edwards Lifesciences Corporation(以下、Edwards社)がまず、Merilの関連会社2社(以下、Meril社と総称)に対して侵害訴訟をミュンヘンの地方部に提起したことから始まりました。
② 取消訴訟の提起
数か月後、Merilの3番目の関連会社がパリの中央部に取消訴訟を起こし、Merilの関連会社2社は侵害訴訟において取消の反訴を提起しました。
③ 特許の訂正の申立
どちらの取消訴訟でも、Edwards社は取消訴訟に対する防御のために特許の訂正を申立てました。しかしながら、2つの取消訴訟では範囲と期限が異なりました。その結果、Edwards社は、中央部に対し、申立をさらに訂正する許可を求めることにより、2つの取消訴訟の間でクレームの訂正とそれぞれの請求を調和させようとしました。しかしながら、中央部はEdwards社の訂正の申立を却下しました。
(2)考察
UPC手続規則30 (2)に基づき、UPCは反訴に対する抗弁が提出された後に特許を訂正する申立を許可するかどうかを決定する裁量権を有します。中央部は、そのような自由裁量権は「UPC手続規則の前文の2条および4条に記載されている均衡性、柔軟性、公平性、衡平性」の原則に基づいて行使されるべきであることを強調しました。中央部は、UPCが一つには、意思決定における均一性と一貫性を促進する目的で設立されたことを認めましたが、UPC協定およびUPC手続規則は、並行訴訟におけるそのような不整合を明示的に容認しています。
このような状況を背景に、中央部は、異なる取消訴訟を伴う2つの手続の間で訂正を行うために特許権者が同じ申立を維持することを認めるのは、2つの手続が同じ主題に関係していないため、一貫した決定を保証するという目的には寄与しないと判断しました。中央部によりますと、地方部/地域部の裁判所と中央部の裁判所との間の停止および付託を司るUPC協定第33条第3項、UPC手続規則295 (m)などのUPCの手続および規則により、UPC内での一貫性のない決定に対して十分な保護が行われます。さらに、中央部は、その決定は当事者が新たな訂正に合意することを妨げるものではないと説明しました。
米国では、訴訟中の特許の訂正は非常に制限されています。クレームは、米国特許商標庁(USPTO)における特許付与後の手続中に特定の状況で訂正される可能性がありますが、訴訟では通常は訂正されません(たとえば米国特許法第305条、第316条、および第326条を参照)。
Ⅳ.留意点
UPC協定、UPC手続規則、Amgen事件およびMeril事件の判決を考慮すると、所望の裁判所で、侵害の問題および有効性の問題の一方または両方を検討させるために、また、UPCでの訴訟中に特許の訂正を試みる場合には、たとえば侵害訴訟または取消訴訟を、先行する訴訟において当該裁判所に反訴として提起するのか、または先行する訴訟とは別途に管轄権のある裁判所に提起するのか、などUPCの手続き上の最善策は何かを慎重に検討する必要があります。
[情報元]
①McDermott News “What’s the Latest on the Unified Patent Court? | April 2024 Update”
(https://www.mwe.com/insights/legal-lens-on-the-unified-patent-court-april-2024/)
②UPC協定原文(英文)
③UPC手続規則原文(英文)
[担当]深見特許事務所 堀井 豊