MPFクレームのCAFC判決紹介
米国連邦巡回控訴裁判所(CAFC)は、コンピュータで実現されるミーンズ・プラス・ファンクションクレーム(以下、MPFクレーム)に対応するアルゴリズムとして、何らかの議論の余地のあるものが明細書に開示されている場合には、明細書に開示される構造が十分であるか否かは、当業者が有する知識に照らして評価されなければならないことを再確認しました。
Sisvel International S. A. v. Sierra Wireless, Inc., Case No. 22-1493 (Fed. Cir. Oct. 6, 2023) (Moore, Clevenger, Chen, JJ.)
1.事件の経緯
(1)IPRの請求
Sisvel International S.A.(以下、Sisvel社)は、無線システムでデータを送信する際のチャネル符号化方法に向けられた米国特許第6,529,561号(以下、本件特許)を所有しています。本件特許は、「リンク適合(link adaptation)」および「増分冗長(incremental redundancy)」と称される技術を使用しており、それらの技術は、従来のチャネル符号化技術に対する改良をもたらすものであると主張されています。
Sierra Wireless, Inc.他(以下、集合的にSierra社)は、米国特許商標庁(USPTO)に対して当事者系レビュー(IPR)の申立てを行い、本件特許の全てのクレーム1-10について以下のような無効理由を主張しました。
① クレーム1-3, 5-7, 9, 10⇒Chen引例により新規性なし
② クレーム1-3, 5-7, 9, 10⇒Chen引例により自明
③ クレーム1-10⇒Chen引例+Eriksson引例の組合せにより自明
④ クレーム1-10⇒Chen引例+GSM引例の組合せにより自明
(2)PTABの決定および当事者によるCAFCへの控訴
USPTOの特許審判部(PTAB)は、申立てのあったクレーム1-10のうち、クレーム1-3および9はChen引例単独で自明であると判断しましたが、他のクレーム4-8および10は特許性があると結論付けました。
特許権者であるSisvel社は、クレーム1-3および9が自明であるとするPTABの結論を不服として上級審であるCAFCに控訴し、IPR請求人であるSierra社もまた、クレーム4-8および10は特許性があるとするPTABの結論を不服としてCAFCに交差控訴しました。
2.事件の争点および背景事情について
PTABおよびCAFCにおいては、本件特許の有効性に関して様々な無効理由が争われましたが、その中で特にMPFクレームに関する争点について、CAFCは実務上興味深い判断をしましたので、本稿ではその点に絞って報告いたします。
その背景として、IPRにおいて主張できる無効理由は、特許または印刷刊行物である先行技術を根拠とする米国特許法102条(新規性)または103条(非自明性)に基づくものに限られる、という事情があります(米国特許法311条(b))。特許が無効であることを立証する責任はIPR請求人にあるので、クレームがMPFクレームの場合には、IPR請求人自身が、当該クレームによって包含される範囲を明細書の開示から特定しなければなりません。それができなければ、PTABは当該特許の無効について判断できません。
本件の争点は、IPR請求人が、MPFクレームに対応して明細書に列挙されたプロトコル名称から当業者であればMPFクレームの機能を実行できるようプログラム可能であったとの専門家の証言を提出したものの、PTABはこれを受け入れずMPFクレームについて無効の評価をしなかったことに対して、CAFCがどのような判断をしたかという点にあります。
3.争点となっているMPFクレーム
本件特許のMPFクレームの代表例として、争点となっている“means for detecting”の限定を含む本件特許のクレーム5を以下に示します(クレーム10にも同様の限定があります)。
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- A radio system comprising:
a transmitter and a receiver having a radio connection to the transmitter;
the transmitter comprising a channel coder for channel coding a data block into a coded data block by using a selected channel coding and for puncturing the coded data block by using a first puncturing pattern, and transmission means for transmitting the coded data block punctured by the first puncturing pattern to the receiver; and
the receiver comprising a channel decoder for decoding the received coded data block, means for detecting a need for retransmission of the received coded data block, and means for transmitting a retransmission request of the coded data block to the transmitter; wherein:
the channel coder increases the code rate of the coded data block to be retransmitted by puncturing the coded data block coded by the channel coding of the original transmission by using a second puncturing pattern comprising fewer symbols to be transmitted than the first puncturing pattern;
the transmission means transmit the coded data block punctured by the second puncturing pattern to the receiver;
the receiver comprises means for combining a received coded data block punctured by the first puncturing pattern and a received coded data block punctured by the second puncturing pattern; and
the channel decoder decodes the channel coding of the combined coded data block.
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4.PTABの判断
PTABは、“means for detecting”に対応する十分なアルゴリズム構造を、交差控訴人(IPR請求人であるSierra社)が本件明細書において特定できなかったと認定しました。PTABは、“means for detecting”によって包含される構造の範囲を決定できないという理由から、“means for detecting”が規定されるクレームを無効と評価しませんでした。
本件明細書には“means for detecting”に対応する様々なプロトコル(FEC, ARQ, hybrid ARQ等)が記載されていたものの、その記載が各プロトコロルの名称に留まっていました。交差控訴人は“means for detecting”に対応する構造を明らかにするため、明細書に記載されたそれらのプロトコル名称に依存すると共に、「それらのプロトコルは、当業者によく理解され、よく知られている」という専門家の証言に依存しました。専門家の一人は「当業者は、CRC、ARQ、hybrid ARQ等の、よく知られ一般的に使用されているエラー検出コードに精通しており、明細書の記載からプロセッサまたはハードウェアにクレームされた機能を達成させるために如何にしてプログラムするかということを知っていたであろう。」と証言しました。専門家の証言について当事者間で争いはありませんでした。
しかし、PTABは、このような証言は明細書それ自体に記載された不十分な構造を矯正できないと判断しました。PTABは、第112条が「明細書自体が対応する構造を適切に開示する」ことを要求しているため、「当業者の証言は、明細書に構造がまったく存在しないことに取って代わることはできない」と述べた判決(Default Proof Credit Card Sys., Inc. v. Home Depot U.S.A., Inc., 412 F.3d 1291, 1302 (Fed. Cir. 2005)およびNoah Sys., Inc. v. Intuit Inc., 675 F.3d 1302, 1312 (Fed. Cir. 2012))に依拠しました。つまり、PTABは、プロトコル名称それ自体は構造の開示としてまったく機能しないと判断した結果、本件は、依拠した判決における「明細書に構造がまったく存在しないこと」に該当すると結論したのです。そうして、PTABは、たとえ当業者が「FEC、CRC、ARQ、およびhybrid ARQについて知っていたであろう」としても、明細書自体に「これらの1つまたは複数を実行するためのアルゴリズム」が含まれていないため、当業者の知識を考慮することを拒否しました。
5.CAFCの判断
CAFCは、特殊目的のコンピュータ実装ミーンズプラスファンクションクレーム(special purpose computer-implemented means-plus-functions claims)の開示の十分性に関して先行する判決例で確立されてきた判例法は、PTABの決定においても引用されたNoah Systems, Inc. v. Intuit Inc. において明確に確認されており、その判決からの精通された分析の下で、2つの異なるグループに分けられることを指摘しました。すなわち、グループ1(ノア・グループ1)は、明細書にアルゴリズムが開示されていないケースであり、グループ2(ノア・グループ2)は、明細書にアルゴリズムが開示されてはいるものの、その開示が不十分であると当業者によって主張されているケースです。CAFCは、明細書にアルゴリズムが開示されていないケースでは、明細書に開示されている構造が十分であるか否かの検討に際して当業者の知識は無関係である一方、明細書に何らかの議論の余地のあるアルゴリズムが開示されている場合、明細書に開示されている構造が十分であるか否かは、当業者が有する知識に照らして評価されなければならないことを再確認しました。
交差控訴人は、明細書においてプロトコル名称が言及されていることは、本件をノア・グループ1からノア・グループ2に持ち込むのに十分であり、プロトコル名称が当業者に特定の構造を暗示するのに十分である限り、プロトコルのステップ自体を明細書に記載することは必ずしも必要ではないと主張していました。これに対してCAFCは、PTABが当業者の知識に照らして明細書に開示されたプロトコルを評価し、ノア・グループ2に適切な分析を実施すべきであったという点において、交差控訴人に同意しました。
CAFCは、本判決の結論に至る過程において、過去の多数の事案を引用し、検討を進めています。それらの事案の1つとして、CAFCは、明細書に記載された科学記事のタイトルが、ミーンズプラスファンクションの限定の十分な構造として機能するかどうかが検討された事案(Atmel Corp. v. Information Storage Devices, Inc., 198 F.3d 1374, 1377 (Fed. Cir. 1999)、以下、アトメル事件)を引用しています。アトメル事件では、明細書に記載されている科学記事のタイトルは、それ単独で、その意味について専門家の証言を考慮することが許可される十分な理由になると判断されました。CAFCは、プロトコル名称が明細書に記載されている本件はアメトル事件と類似しており、区別できないとしています。一方で、CAFCは、他のいくつかの事案を例示し、たとえば、「適切なプログラミングを備えた標準マイクロプロセッサ」などといったあまりにも一般的かつ曖昧な明細書中の開示、および「既知の技術や方法を使用できる」などという「内容の無い声明(bare statement)」は、ノア・グループ1に属することを確認しました。
CAFCは、ノア・グループ1とノア・グループ2とを分ける境界線は明確であり、専門家の証言は明細書にまったく存在しない構造を作成または推測することはできないが、本件では、明細書に実際に記載されている開示(プロトコル名称)が当業者に何を伝えるかを専門家の証言で示すことができると判示しました。そうして、CAFCは、「明細書で特定されているプロトコルを考慮すると、PTABは、これらの開示を「明らかにする」ために専門家の証言を検討すべきであった。これは、専門家が新しい構造を作成したり、背景知識から構造を示唆したりすることを許すことではなく、「当業者に伝えられる」すべてについて明細書の既存の開示を読み取るだけである。」と判示しました。
CAFCは、「検出する手段」の限定に関するPTABの決定を無効にし、この問題をさらなる手続きのために差し戻しました。
6.実務上の留意点
本件では、明細書に記載されたプロトコル名称について、当業者によく理解され、よく知られているという専門家の証言が得られていること、および専門家の証言について当事者間で争いがなかったことから、本件が差し戻った後、“means for detecting”に対応する十分なアルゴリズム構造が明細書に開示されていると認定されることが期待されます。
実務上、MPFクレームに対応するいくつかのアルゴリズムがいわゆる周知技術である場合、各アルゴリズムの詳細な説明に代えて、アルゴリズムを指し示す何らかの名称等が明細書に記載されるケースは少なくないと思われます。ただし、このようなケースでは、アルゴリズムの周知性をその名称等とともに事前に確認することが必要でしょう。たとえば、発明に用いられるアルゴリズムは当技術分野において周知技術であるとの見解が発明者から得られたとしても、そのアルゴリズムまたはそのアルゴリズムの名称が発明者の属する企業のみにおいて一般化している可能性もあります。このようなケースでは、明細書に記載されたアルゴリズムの名称が、ミーンズプラスファンクションの限定の十分な構造として機能すると評価されることを期待できないでしょう。
したがいまして、アルゴリズムの詳細な説明に代えて、そのアルゴリズムを指し示す何らかの名称等を明細書に記載しようとする場合、その名称等について、専門家から「当業者は、明細書の記載から如何にしてプロセッサまたはハードウェアにクレームされた機能を達成させるためにプログラムするかということを知っていたであろう」という証言を確実に得られるのかどうかを十分に検討することが重要といえます。
[情報元]
① McDermott Will & Emery IP Update | October 19, 2023 “Decoding Algorithms: Structural Sufficiency for Means-Plus-Function Claim Judged From Skilled Artisan’s Perspective”
② Sisvel International S. A. v. Sierra Wireless, Inc., Case No. 22-1493 (Fed. Cir. Oct. 6, 2023) (Moore, Clevenger, Chen, JJ.)(判決原文)
https://cafc.uscourts.gov/opinions-orders/22-1493.OPINION.10-6-2023_2202155.pdf
③Noah Sys., Inc. v. Intuit Inc., 675 F.3d 1302, 1312 (Fed. Cir. 2012)(判決原文)
https://cafc.uscourts.gov/opinions-orders/11-1390.pdf
④IPR2020-01099(IPR決定原文)
https://developer.uspto.gov/ptab-web/#/search/documents?proceedingNumber=IPR2020-01099
[担当]深見特許事務所 中田 雅彦