冒認出願への制度対応の歴史
ベルの電話発明と冒認出願問題
電話の発明にはベルとグレイが関わり、その後のさまざまな調査や研究の結果からは、グレイの出願明細書をベルが秘密に読み、その内容を後に書き加えたようであることは、前回の知財論趣にご報告した通りである。なぜ先発明主義の米国において、2時間遅れのグレイの発明が特許にならなかったのか、そこには19世紀末のワシントンにおける電信事業をめぐる政治と経済と激しい争いが背景にあったことはご理解いただけたことと思う。
インターフェアランス手続の通知をしながら、それを取り消したことは、当時の米国特許庁がワシントンの有力弁護士グループに対してひどく弱い立場にあったことも想像できるのである。本来、先発明主義であれば、こうした争いに対しては、特許庁もあるいは司法も発明から出願までのプロセスを詳細に調べて、真の発明者に対して権利を付与するべく適切な判断をすることができるはずのものである。先発明主義には批判も多いが、見方を変えれば発明者の保護にはふさわしい部分もあることは確かである。
先願主義の場合の冒認出願
ところが先願主義の場合には、冒認出願の問題には対処の難しいところがある。もちろん難しいからと言って、対応ができないわけではなく、冒認出願に対する一応の制度設計はされている。ご存知のように、日本特許法では「その特許出願人が発明者でない場合において、その発明について特許を受ける権利を承継していないとき」には拒絶の査定をすることとしている。だから冒認出願者は特許を受けることはできない。他方、発明者あるいはその発明について特許を受ける権利を承継している者が特許出願している場合には、新規性喪失の例外の規定により、6ヶ月間以内であれば、冒認出願が公開されたとしても、その内容から拒絶されるということはない。
ところが仮に、真の発明者あるいはその発明者から特許を受ける権利を承継していた者が特許出願していない場合、あるいは冒認出願から6ヶ月を超えて遅れて特許出願していた場合には、どうなるか。この場合には救済がない。
ドイツにおける長い議論と制度変遷
いわゆる先願主義を理論化し、制度設計していった19世紀ドイツにおいても、この冒認出願の問題を先願主義のもとで、どのように取り扱うべきか、随分と議論されたようである。特許を取得しようとする者は、まず特許出願をしなければならない。出願をしない者が特許を得ることはできない。同じ発明を別の者が生み出した場合、特許を得るのは先に出願をした者とするという制度設計にあって、他人の発明を何らかの方法で知った者が、無断で特許出願をした場合、どうするか。
1877年のいわゆるライヒ・ドイツ特許法においては、冒認出願の場合には、その権利は存在しない、とした。日本特許法と同じであり、日本はこのドイツの制度を参考にした訳である。しかしこの制度は、ドイツの特に学界関係者において批判が多かった。冒認出願をされた真の発明者への配慮がないこと、すくなくとも真の発明者への何らかの権利付与の機会を与えるべき制度設計の必要性が強く主張されたのであった。
この結果、わずか10数年後の1891年には、ドイツは制度改正をして「冒認出願をされた真の発明者は、冒認出願の出願公告の前日を自らの出願日とみなすように、求めることができる」という出願日遡及制度を導入した。しかしこの制度でも批判は強かった。真の発明者への配慮として十分ではないこと、既に冒認出願自体の審査は完了し特許となっているのに、真の発明者の出願について改めて審査をやり直すことの妥当性、そして共同出願における冒認出願の場合に、出願日遡及制度は必ずしも制度として適当とは言えないこと等々の批判であった。
ドイツはワイマール文化の時代であり、発明者の権利を擁護する時代であった。裁判において、冒認出願の場合には、その特許権を真の発明者へ移転させる判決がされていった。これを受けて1936年制度改正においてドイツは、冒認出願においては、その特許権を真の発明者が取り戻すことができる、取り戻し請求権があることを制度化した。
ちなみにこの1936年ドイツ特許法はヒットラー政権時にできたものであることから、ヒットラー特許法と称し、発明者を手厚く保護しているとする見方が一部にあるが、これは妥当なものとは言えない。この冒認出願の場合の、取り戻し請求権の考えが生まれ、司法において確立されていったのはワイマール文化の時代であったからだ。
日本における冒認出願に対する制度設計
明治日本の特許制度は、先発明制度であったから、冒認出願に対する格別の制度設計はされていなかった。ところが大正10年法において先願主義に切り替えたものであるから、この冒認出願への制度設計が必要となった。しかも先願主義のドイツではまさにこの冒認出願への制度のあり方が大いに議論されていた時でもあった。
そこでこの大正10年法では、冒認出願の場合には、「特許ヲ受クルコト能ハサルニ至リタル場合」又は「特許ヲ無効トスル審決確定シ又ハ判決アリタル場合」には「正当権利者ノ出願」を冒認者等の「出願ノ時ニ於テ之ヲ為シタルモノト看做ス」としたのであった。いわゆる出願日遡及制度を導入した訳で、ドイツが冒認出願の出願公告の前日までに出願日遡及したのに対して、冒認出願日まで遡及するとしたわけである。
戦後、昭和34年の特許法大改正のときに、この冒認出願についての制度をどのようにするべきか、検討されたようである。その結論は現在の特許法の規定であって、冒認出願は拒絶されること、真の発明者は新規性喪失の例外の規定のなかで自らの発明を特許とするべきこと、これである。大正10年法からは少し戻ったと批判されることも多かった。
今回の制度改正
今年になって特許法の改正法(特許法等の一部を改正する法律 平成23年6月8日 法律63号)が成立したが、この改正法はまさにこの大きな課題に応えるものであった。
この改正法では、冒認出願の場合に、これまで通り冒認出願には拒絶の道を確保しつつ、真の発明者あるいは特許を受ける権利を承継した者には、冒認出願者が得た特許権を移転することを請求することができるようにした。仮に共同出願するべきところ、相手側が一人で出願して特許権を得たような場合には、本来、共同出願をして特許権を共有する時の持ち分だけの権利を移転請求できる。
これまでの欧州、なかでもドイツにおける冒認出願に関わる議論と制度設計の歴史をみていくと、今回の制度改正は基本的には妥当なものと理解することができる。ただ制度改正に伴う審議会の議論では、この冒認出願制度について、ただ産業界のアンケート調査結果で、こうした改正が求められていると説明されるのみであって、歴史的、理論的な説明が十分にされていないのが残念である。
考えてみればこの冒認出願の際には、真の発明者あるいはその発明者から特許を受ける権利を承継した者は、その特許権の移転請求をすることができるという仕組みは、先願主義の制度設計のなかにあっては、驚くべき内容のものであると言っても過言ではない。
先願主義を基本とする特許制度においては、特許権を得るためには例外なく、出願という手続を踏むことが求められる。ところが冒認出願のときだけは、その原則を外してまったく出願をすることなく、特許権を手にすることができるということの制度的意味を考えていかなければなるまい。
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