知財論趣

歴史の教訓:RCA社の事例

筆者:弁理士 石井 正

ライセンシングの時代
 知的財産基本法は、知的財産の創造、保護、活用をこれからのわが国の最重要課題とした基本法であって、推進計画が作成され、それぞれの目標の実現に関係者が努力されている。わが国は知的財産の保護については、格別の問題はない。考えるべき点は知的財産の活用であって、権利を保有していても活用ができていないとする問題で、宝の持ち腐れと昔から批判されてきた。
 このため推進計画もこの点を重視し、具体的な解決の糸口として、企業はこれまで以上に積極的にそのもつ特許権を他社に提供し、また外国企業にも実施許諾していくことを進め、他方、大学等はその研究成果をきちんと知的財産として確保し、それを産業界にライセンシングによって提供し活用する方策が検討されている。要は権利を保有しても活用しない現状は大きく変えるべきというわけである。 
 ライセンシングというと、各企業の特許料収入が話題になる。最近は各社とも自社特許権の他社への提供、実施許諾契約に積極的である。その結果が特許料収入となって現れてきている。

特許の黒字1兆円
 実際に日本企業のライセンシングは最近、大変に活発になってきていて外国からの特許料収入が増加している。2012年の経常収支を見ていくと、そのライセンシングの状況をマクロ的に把握することができる。 
 2012年の貿易収支は5兆8000億円の赤字であった。原子力発電所に代わる火力発電所のための高価なLNG輸入がその原因の一つであった。赤字は貿易収支だけではなく、サービス収支も2兆6000億円の赤字であった。輸送収支、旅行収支が赤字の原因であった。 
 ただ興味深いことは、そうした赤字のなかにあって特許権等使用料という分類においては、9528億円の黒字になっていることだ。その内訳を見ていくと著作権料は5800億円の赤字で、逆に特許は1兆5000億円程度の黒字というわけで、まことに評価できると数字と言わなければならない。その多くは自動車を中心に、海外子会社が使用した特許について、親会社に特許使用料という形で支払うものであるが、ともかく評価はできる。 
 ただ大きな歴史のなかからこの事実をみていくと、様々に気にしなければならないことも見出すことができる。

米国RCA社の経験
 具体的にそれをみていくと、1953年(昭和28年)にRCA社は日本の電気メーカーに白黒テレビの特許料として5%を支払うことで、RCA社のすべての特許の利用を許諾した。1960年にはこの特許料支払い総額は70億円にまで拡大した。それでもわが国電気メーカーにとってRCA社の特許が自由に使用できるメリットは大きかった。1963年にはカラーテレビの特許実施許諾契約が行われ、3.5%でRCA社のカラーテレビ特許が使用できた。他方、白黒テレビの特許料は2.7%に低減した。1969年のわが国電機メーカーの支払い総額は200億円にまで達した。  

ものづくり企業からライセンシング収入依存型企業へ
 RCA社にとってこの特許料収入は大きかった。いつしかRCA社は特許で利益を得る会社となっていった。反面、ものづくりの競争力は急速に低下していく。カラーテレビは米国で製造することを諦め、台湾の会社に製造委託していったのはその典型例であった。そうなれば会社としてプロフィットセンターをどこかに探さなければならない。 
 日本企業に技術のライセンスを提供することは、RCAのもっとも儲かるビジネスのひとつになり、ロイヤリティという形で年に何億ドルという金が転がり込んできた。ライセンス部門がプロフィットセンターとなった。トランジスタも液晶も太陽電池もRCA社はその持つ特許権をどしどし日本企業に実施許諾した。 
 当然、RCA社の社内では研究部門など現場の連中は面白くない。だからこんなことになる。 
 「研究部門でいくらいい仕事をしても、特許の人間に売り払われるんじゃ仕方がない、あの連中は会社の未来を売り払ってるんだって、現場の人間は本心じゃそう思っていましたよ。」(ボブ・ジョンストン「チップに賭けた男たち」安原和見訳講談社)。 
 RCA社はその後経営困難に陥り、吸収合併され、いまはない。栄光の企業も不滅ではないことがここにも見出される。近年、日本企業のライセンシング収入が増加していることは、一面で喜ばしいことであるが、逆に新たな問題につながる部分についても考えていかなければなるまい。