知財論趣

騒音と隣人間の訴訟問題

筆者:弁理士 石井 正

騒音という問題
 電車に乗っていると、アナウンス騒音が気になることがあります。乗務員によるスピーカーから流れる騒音に近いアナウンスです。運行の案内、注意、連絡、説明が途切れることなく行われるのです。最近では車内での携帯電話の通話が騒音であって、周りの迷惑になるということを繰り返し説明し注意するのですが、どうにもあの大きな音量での注意それ自体がひどい騒音であって、車内の乗客の迷惑であるという自覚がないようで困りものですね。なにしろ、ありとあらゆる説明や注意をしようとします。行き先から始まり、次の駅の紹介、驚いたことに次の駅の扉が右側か左側かまでも説明するわけです。これが雨の時だと、雨傘を忘れないようにさらに丁寧に注意されることになります。

丁寧・親切な案内騒音
 丁寧といえば丁寧なのですが、まるで乗客は全員子供と思われているのではないかと錯覚しますね。乗客は充分な知識も持たず、しっかりした理性もないとみて、これは善導しなければならないと考えているのではないかとまで邪推したくなる始末です。それでいて事故のときなどは、乗客がもっとも知りたい情報が適切に説明されることはないという有様です。同じ内容の説明がただ繰り返されるだけで、疲れていると、ひどく腹立たしくなってきます。駅は駅で、のべつまくなしに電車の発車や到着の案内をします。案内だけならばよいのですが、時々は観光地の宣伝もしたり、JRとしての特別列車の宣伝をしたり、事故の謝罪をしたりと忙しいのです。こうしていつも説明、注意をアナウンスしていると、大事な知りたい情報が消されてしまうことになります。聞く側の注意が却って散漫になってしまうという問題を関係者は分かっているのでしょうか。

静かな欧州
 こうした公共的の場における過剰な説明や注意の結果としての騒音問題はどうもアジアに多く、欧州にはほとんどないことに気づきます。欧州で鉄道に乗っていると、あまりにもアナウンスが少なすぎるので心配になることがあるのです。乗っている電車がはたして正しいのか、降りる駅はどこかなど、心配することがあります。しかしこうしたことは乗客が自ら考える事柄であるようです。北欧に行くとさらに静かで、人々は静けさそれ自体を楽しんでいるとしか思えないほどなのです。ただ欧州の場合、静かであることを楽しむというのはよいのですが、これが法律を盾にして主張されるとややこしいこととなります。隣人の騒音に対してひどく神経質となり、ただちに訴訟にまで発展するというわけです。特にドイツの場合、あいまいさを許さず、ルール通りに処していく国民性が、騒音問題をなかなか厄介な訴訟へと導いていくこととなります。

近隣騒音をめぐる訴訟問題
 ドイツ統合前の西ドイツの場合、42%の人々が隣人の騒音に悩まされているという調査結果があります。別の調査では3分の2の人々が騒音に迷惑しているとのことです。騒音を出す人と、騒音に悩まされる人が別々であるとは思えませんから、これらの結果は、ドイツの人々が自らの発する騒音には気づかずに、他人の発する騒音にはひどく神経質になるという状況を表していると言えるのではないでしょうか。ドイツでは騒音に悩む人々は我慢しません。ただちに訴訟です。ともかく何でもかんでも訴訟です。その結果、裁判所の判決も我々の常識からするとひどく非常識なものとなることがあるのです。隣家の犬のほえ声がうるさいと訴訟になった事件では、裁判所は「犬がほえてよいのは1日に最高30分だけ、連続10分以上は許されず、ほえる時間帯は8時から13時までと15時から19時までの間である」という判決を出しています。そこまで裁判所が決めるのかと疑問に思えるほどの厳しい判決で、本当だろうかと疑ってしまう程です。こんな判決が出されては、犬も心いくまで吠えるなどできませんね。
隣人間での騒音訴訟が大量に発生し、裁判所はそれを受けて細かな判断をしていき、それが飼い犬のほえる許容量にまで関わっていくわけですが、ともかくドイツでは隣人間訴訟のうち、かなりの比率を騒音問題が占めると言われています。こうしたドイツの騒音に関する隣人間訴訟は、そのまま我々の参考にはなりませんが、日本においては、せめてもう少し公共の場でのアナウンス騒音には気を使って欲しいものです。