知財論趣

美術館という文化

筆者:弁理士 石井 正

富の集積地は文化財の集積地
 富の集まるところに文化財も集まります。世界の経済の中心地は同時に富の中心地にもなり、そこに世界の美術品やストラディバリウスの名器と言われるバイオリン等、あらゆる文化財も集まってくるわけです。世界経済の中心地であるアメリカのニューヨークやシカゴの美術館はそれを如実に示している言えるでしょう。フランス印象派の絵画は、誰しもフランスにあると考えるのですが、実際はどうでしょうか。現代では、むしろ米国がその中心地であると言わざるを得ません。セザンヌの作品を楽しむなら、メトロポリタン美術館あるいはバーンズ・コレクションをまずは考えなければなりません。フランス印象派の絵画が世に登場し、評価され、高額で取引された時代は米国経済が世界の中心になった時でもあったのです。

米国東海岸の美術館
 数年前、米国東海岸の美術館を中心に巡る旅を楽しみました。ボストン美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ワシントンのナショナル美術館がお目当てで、ボストンはちょうど、紅葉のシーズンでもあり、寒さは厳しくなく、美術館を巡る旅を堪能することができました。
 各美術館とも収蔵品はまことに豊富で、ボストン美術館は欧州の美術品に加えて日本の美術品が想像していた以上に豊富でした。ニューヨークのメトロポリタン美術館は、それ以上の収蔵規模で、フランス印象派の収蔵品だけでも大変なものです。好きなセザンヌだけでも20点以上あるでしょう。なかでも「トランプをする男たち」や「静物」はまことに価値あるもので、よくこれだけのものが収蔵され展示されてあるとあらためて驚いた次第です。
 美術館巡りをしながら考えたのは、これら美術館の美術品収蔵の仕組みでした。こうした美術品を仮に美術館が取引市場を通して購入していたら、その額は天文学的なものとなるでしょう。メトロポリタン美術館に収蔵されてあるセザンヌの作品の場合、「トランプをする男たち」は仮に市場に出せば100億円以上は確実で、あるいは500億円程度となるかもしれませんから、セザンヌだけで1兆円以上もする可能性があります。美術館全体としては数十兆円ということになるではないでしょうか。

寄付の文化
 それではメトロポリタン美術館はどのようにしてそうした収蔵作品を入手したのでしょうか。仮にそれら収蔵品を美術館が購入していたとしたら、その購入額は途方もない巨額なものとなっていたでしょう。実はそのほとんどは寄贈なのです。各展示作品には必ずそうした寄贈者の名前が表示されているからそれが分かります。例えばセザンヌの「トランプをする男たち」の場合、スティーブ.C.クラーク氏による1960年の遺贈であると表示されてあります。同じセザンヌの「静物」はH.O.ヘーヴマイヤー夫人の1929年の遺贈です。このヘーヴマイヤー夫人の遺贈作品は他にも多くあり、例えばエル・グレコの有名な「トレドの眺望」やヨーロッパ肖像画の歴史に画期的影響を与えた「枢機卿ドン・フェルナンド・デ・ゲバラ」もこの夫人からの遺贈作品であると銘記されてあります。そうした極めて裕福な資本家あるいはその夫人が亡くなる際に、遺書に所蔵の美術品を希望の美術館へ寄付するように書き残した結果です。

日本の場合
 それでは日本ではどうでしょうか。残念ですが、高額な美術品を所有する方が、亡くなる際にその美術品を公共の美術館に遺贈するということは極めて少ないようです。元々、日本には寄付文化がないこと、遺族がそれを望まないこと等があいまって、財団法人をまず作り、その法人が極めて小さな規模の個人美術館を作り、そこで展覧するというのが一般的なようです。したがって重要文化財1点を所蔵する個人美術館が多数あって、他方、有名設計家が手がけた大規模公共美術館はあるものの、その所蔵美術品はまことに貧弱であるという奇妙な結果となります。聞くところによれば、相続税制度が今後見直され、厳しいルールとなるのだそうです。そうであればこれまで個人が所有していた極めて高額な重要美術品の相続も困難になることでしょう。それを機会に米国のように公共の美術館に寄贈することが当たり前になって行くことを願ってやみません。