知財論趣

土地所有という考え

筆者:弁理士 石井 正

バージニア植民地
 英国の植民地アメリカに人々が移民していったのは、1600年はじめの頃でした。慣れない風土と生活手段が制限されているなか、移民した人々はまことに厳しい生活を余儀なくされたのです。1607年から1624年までにバージニア植民地に入植した人々はおよそ6000人でしたが、このうち数年以内に4000人から5000人が病気や飢えで死んでいったようです。ともかく生き延びなければなりません。それにはどうしたらよいのでしょうか。すでにそこに生活していたアメリカ先住民の知恵を借りるしかありません。なにしろ当時、バージニアのチェサピーク湾周辺だけでも先住民は1万5000人が住んでいたのです。問題はどのようにして先住民から知恵を借り、支援を貰うかでした。

ジョン・ロルフ
 1610年にチェサピーク湾のジェームズタウンに到着したジョン・ロルフはアメリカ先住民の酋長の娘ポカホンタスと結婚したのですが、もちろん目的あっての結婚でした。この結婚により、先住民たちとロルフたち入植者との間に不可侵・支援協定が結ばれたこととなり、その結果、先住民はトウモロコシの栽培方法なども教えたのでした。その後、次第に生活の基盤が整うとともに英国からの入植者たちは増加するとともに、先住民達から安く土地を買い、トウモロコシを栽培して生きのびていったのです。ところで、先住民はどうして入植者たちに土地を分けていったのでしょうか。

利用するための土地
 そこには土地に対する所有の考え方に本質的な差異があったのです。先住民たちは家族単位で耕作を行います。数年して土地がやせてくると、収穫が減ってきますから、その土地は休ませて、別の土地へ移っていきます。土地の所有はあくまでも耕作を行っているときだけです。だから土地の取引価格は安いのです。数年間の耕作のための土地利用の費用といってもよいでしょう。先住民達は、土地の価格とはそういうものであると思っていたのです。そこにロルフたち入植者は気付いたのでした。彼らはひどく安い価格で先住民の土地を買っていったのです。先住民は当然に土地がやせてくればそれは利用しない土地なのだからまた戻されるものと考えていましたが、入植者たちはそうは考えなかったのです。買った土地には囲いを作り、土地がやせてきたら、そこに牛や馬を放牧して土地を再利用します。入植者にとっては買った土地には所有権が発生するという常識があり、逆に先住民にはそこに非常識がありました。買った土地に囲いがある以上、先住民はそこには住むことも、耕作もできず、少しずつ奥地へ移住していったのでした。その繰り返しでバージニアの入植地の土地は先住民から入植者の土地へと代わっていきました。

アイヌ社会における土地
 こうした土地に関する所有権の考え方の違いは、日本にもありました。アイヌ社会です。高倉新一郎の「新版アイヌ政策史」によれば、「アイヌには元来土地所有なる観念はなかった。けだし、土地所有権は土地その物の集約的永続的使用に伴って発生するものである。しかるに漁猟時代に止どまっていたアイヌは、漁猟・伐採等の土地産物採取を通じて土地に関係を持つのみで、・・ゆえにこれらの農耕地も、使用中には使用者が排他的権利を持つが、使用を離れれば素の無主地-部落共有地-に帰ったのである。」というのです。  農業社会でも近代産業社会でも、土地といえば財産の典型と考えていますが、その土地についての財産あるいは所有の考えが人によってこれ程、異なるのです。現代における知的財産について、発展途上国の人々がなにか違和感を持つのも無理もないことなのでしょう。