知財論趣

クリスパー遺伝子編集ツール

筆者:弁理士 石井 正

日本国際賞
 2017年の日本国際賞は、エレクトロニクス・通信分野では暗号技術の研究に大きな貢献をしたイスラエルのシャミア博士に、そして生命科学分野では画期的遺伝子編集ツール(CRISPER CAS9)を開発したフランスのシャルパンティエ博士と米国のダウドナ博士に授与されました。日本国際賞は全世界の科学技術者を対象に独創的な成果を挙げ、科学技術の発展に寄与した者に与えられるもので、故松下幸之助氏の寄付により1985年に実現したものです。一つの分野につき5000万円の賞金が贈られ、海外からも評価の高い賞です。

クリスパー・キャス9
筆者はバイオテクノロジーには全くの素人で、その基礎的な技術知識も身につけていないのですが、ただ関心はあり、とりわけその社会的な影響について考えることがあります。日本国際賞を受賞したシャルパンティエ博士とダウドナ博士による画期的遺伝子編集ツールであるクリスパー・キャス9が、今後、社会にどのような影響を与えていくのか注目しています。それではこのクリスパー・キャス9という技術はどのようなものなのでしょうか。当方はなにしろバイオ技術の素人なので、ここでは日本国際賞の主催者である公益財団法人国際科学技術財団が受賞者の研究概要を公表していますから、それを読み、理解することとします。研究概要では、細菌がウイルスなどの感染に対して巧みに防衛する仕組みの解明を通じて誕生したとしています。細菌は侵入したウイルスのDNAを自らのDNAに取り込んで記憶し、再度の感染の際には相手のDNAを認識すると、RNAのガイドによりCasタンパク質を誘導してこれを切断し、破壊しますが、この仕組みを利用して、どんな生物においても目的とするDNAを任意の部位で切断し、置換、挿入など自在な編集を可能にした、と評価しています。詳しくは国際科学技術財団の公式サイトをご覧いただくのが早道でしょう。(http://www.japanprize.jp/press_releases20170202.html) 

遺伝子列の特定の場所に
知り合いのバイオの専門家に聞けば、これまでも遺伝子列を切断したり、そこに別の遺伝子列を挿入したりすることはできたそうです。ただ問題は、その遺伝子列の切断場所や挿入場所、置換場所をきちんと特定することがこれまではきわめて困難であったことでした。だからこれまで遺伝子改変に成功した事例においては、いわば暗闇の中で試みているうちにたまたま成功したという場合がほとんどだということです。それが今回の遺伝子編集ツールを使えば、狙った遺伝子列の特定場所に切断、挿入、置換ができるので、バイオの研究開発はまったく新たな次元に入ったと言えるそうです。

悩ましい課題
バイオの研究にはまず遺伝子配列の解析が大事なのですが、この解析にはこれまでは高額な分析装置を必要としていました。ところが最近、超簡易なDNA分析装置「BENTOラボ」が海外で市販され始めたのです。A4サイズの小型の箱に小型簡易な遠心分離機なども入っていて、これだけで簡単にDNA解析ができるのだそうです。BENTOとは、もちろん弁当箱の意味で、全体で2000ドルと安いのです。BENTOラボを使って遺伝子配列を分析し、これに加えてクリスパー遺伝子編集ツールを使えば簡単に遺伝子編集ができるわけです。すでに米国では、自宅で犬のゲノム編集を試みたり、植物のゲノム編集を研究したりする者が増えているそうです。米国ではバイオの研究、遺伝子編集は高校生でも参加できるようになったといわれています。しかしこのように遺伝子編集を簡単に行えるようになることは、社会には大きなリスク要因となることは確かでしょう。生物の遺伝子を変えた時にどのような問題が発生するかは、専門家でも予測できないと言います。想像を超えるトラブルが発生しないとは言えないでしょう。こうした遺伝子編集あるいは改変に関わる規制は容易なことではないのですが、いずれは何らかのルールを作っていくことが必要ではないかと、素人なりに考えてしまうのです。すでに国もこうした規制のあり方について検討に入ったと、先日新聞報道がありましたが、多くの専門家、関係者の参加を得て、有効なルールを作成して欲しいものです。