知財論趣

音楽用CD の標準策定経験

筆者:弁理士 石井 正

デファクト・スタンダード
 最近の技術商品はデファクト・スタンダード(事実上の標準)が山ほど関わっているようです。特にデジタル技術の場合にはそれが顕著で、基本部分のすべてが公的標準に関わり、さらに細部ではデファクト・スタンダードが関わるため、技術者はいつもそうした標準の詳細を知っておき、さらにその動きまでを把握しておかなければ開発にかかることもできないといわれます。そうした経験を重ねると、デファクト・スタンダード自体を策定する場に参加することへ意欲がわくのも当然のことでしょう。日本企業が積極的にデファクト・スタンダード策定に参加することは、技術的にも重要ですが企業の市場戦略的な立場からはさらに重要なことと思えます。ただ実際にはそれは大変な努力と能力を必要します。

音楽用コンパクト・ディスク
 音楽用のコンパクト・ディスクは我が国のソニーとオランダのフィリップスが共同で開発した技術商品で、その技術は極めて高く評価されるものです。この音楽用コンパクト・ディスクは技術標準が幾重にも重なりあっている技術商品の典型とも言えるでしょう。その技術標準に日本企業が決定的な役割を果たしていたことは誇り得ることです。なかでも自動誤り訂正技術についての日本サイドの技術的貢献は高く評価されています。しかもその開発にはまことに興味深いエピソードが秘められているのです。

クロス・インターリーブ・リード・ソロモン
 自動誤り訂正技術は、デジタルディスクに傷がついてデータが読めなかったり、誤ったデータになったときに自動的にデータ訂正する技術です。音楽用コンパクトディスクの場合、誤りが発生した場合でも元々がアナログデータですから、前後のデータとの相関があり、それを考えると前後平均からある程度計算で訂正することができます。いわゆる補間法です。ところがディスクに傷がついたりして、ある範囲で大きくデータ誤りが発生すると補間法では間に合いません。そこで全体のデータ列とは別にそのデータを多数のブロックに分けておいてそこに符号を付け、このブロックの順番をバラバラにして変えて記録しておきます。ディスクからデータを読み出してもしも大きくデータ誤りが発生した場合、通常の順番のデータとこのブロック別に順番を変えたデータを元に戻して、両者を比較して誤り訂正の参考情報にするわけです。ディスクに傷がついて、通常の順番のデータが読めない場合や誤りが発生した場合でも、ブロック別のデータは読み出すことができたり誤りが発生していないことが多いのです。そのブロックのデータを使って誤り訂正を行います。これがクロスインターリーブ技術です。

二社の技術的対立
 問題はこうしたクロスインターリーブ法による自動誤り訂正をする場合の、技術的な細部の仕様です。典型的にはデータをブロックに分割するのですが、このデータ長や符号、誤り訂正用データのビット長やその周期等々です。フィリップス側は技術者30人程が関わり、特にそのトップは情報理論に詳しく、数学的に研究し尽くして仕様を決定したようです。その理論はきわめて高度で難しいのですが、ひとたび理解するとまことに美しい数学理論を駆使しているのだそうです。対するソニー側は数名の技術者が実験的に仕様を決めていったようです。両社でどちらの仕様で行くかを議論を重ねたのですが、数学的に分析していったフィリップの方が圧倒的に優位に立ったのです。確かにソニーサイドの技術者がみても理論的にはフィリップ社の仕様の方が美しく見えるのです。しかし実際にはどうでしょうか。

実際に机の上で
 長い議論の末に、それでは実際にディスクに傷を付けてどちらが訂正できる能力が高いかを確認しようということとなったようです。1980年の頃でした。両社の技術者が集まりフィリップ社のディスクとソニーのディスクを机の上に載せ、まず指紋をディスクに付けて読み取りをすると両社のディスクとも難なく自動的に訂正できました。次に机の上でディスクを数十秒間こすってみます。当然ディスクにはさまざまな傷が付くでしょう。その結果はまことに興味深いものでした。ソニーのディスクは誤りを訂正してしっかりとデータ読み取りができるのに、フィリップ社のディスクは誤り訂正ができずデータ読み取り不可となったのです。何度やっても同じでした。フィリップ社が詳しく分析してみると、フィリップス仕様ではすべてのサイズの傷に対して対応できるように数学的に決定していたのに対して、ソニー仕様は実際の傷の大きさに対応できるように実験的に決定していたことが優位であることの原因と分析されました。すべてのサイズの傷に対応しようとすると誤り訂正情報も分散してしまって実際に発生する大きさの傷に有効に対応できないようなのです。もちろんフィリップ社も納得して、このクロス・インターリーブ・リード・ソロモン技術のデファクトスタンダードはソニー仕様となったのです。関係者の才能と努力に拍手をしたいですね。
 この顛末は天外伺朗「CDはこう生まれ未来をこう変える オーディオから電子出版まで」(ダイヤモンド社、1986年)に紹介されているのですが、この本は、筆者がこれまで読んだコンパクト・ディスクの技術に関する最も分かりやすく、明晰でしかもその標準策定の困難なしかし興味深い足跡を記述したものです。たいへんな名著であると筆者は高く評価しているのですが、多分、既に絶版になっているとは思います。デジタル技術と標準にご関心がある場合には、図書館等で一読されることをお勧めします。

(平成30年2月1日記)