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知財論趣

知財論趣
言葉の文化
弁理士 石井 正
  1. 裾野の広い俳句・短歌の趣味人口
     俳句も短歌も、これを趣味とする人は多いようで、それをはっきりと認識させられるのが、新聞の俳句・和歌の選評欄です。新聞に掲載される選ばれた句や歌は僅かに10とか20と少ないのですが、その裏には選に入らなかったその100倍とか1000倍の応募句や歌が存在しているに違いありません。俳句や短歌を趣味としている人々の裾野はまことに広いのです。筆者は発句あるいは作歌する才はまったくなく、ただ秀句、名歌を記憶することを楽しみにするといういささか変な趣味があります。こうした秀句、名歌を記憶しているとそれぞれの句や歌に言葉のつながりのあることを見出すことが、また楽しみを深めることとなります。
  2. 芭蕉の句
     芭蕉の句に次の作があります。
        石山の石にたばしるあられ哉
     一度、目にすると忘れることのできない名句です。この「たばしる」という言葉は、今ではほとんど使われることはありません。水や雹(ひょう)、霰(あられ)等が岩石等の固いものにぶつかり、飛び散る様を表現する言葉です。手元の古語辞典をみると、「激しい勢いで飛び散る様」と説明していて、語源は「た走る」で、この「た」は接頭語であって、強調の意味があります。この芭蕉の句は、たばしるという言葉によってはじめて成り立っているのですが、芭蕉がこの言葉を使う何かきっかけはあったのでしょうか。調べていくと、どうやら芭蕉は源実朝の「金塊和歌集」に目を通していたと思われるのです。
  3. 実朝の金槐和歌集
     実朝の金槐和歌集のなかに次の和歌があります。
      もののふの矢並つくろふ篭手のうへに 霰たばしる那須の篠原
     芭蕉はこの和歌にある「霰(あられ)たばしる」という表現を頭のなかにメモしたに違いありません。いつかどこかでこの表現を使いたい、この言葉を生かした句を作りたいと願っていたに違いないのです。それが石山寺を訪ねた時に、一瞬にして記憶の底から、その言葉が蘇ったのでしょう。言葉の文化である和歌や俳句にはこうしたことはいつもあります。
  4. 万葉集
     まことに興味深いことは、源実朝が、この「たばしる」を使うにあたってさらに先行する歌があったのです。実朝がはじめて「霰(あられ)たばしる」という言葉を使ったわけではないのです。
     万葉集の柿本人麻呂の歌に次の歌があります。
      わが袖に霰たばしる巻き隠し 消たずてあらむ妹が見むため
     我が袖に霰が飛び跳ねているのですが、これをただちに払い消すようなことはしないで、このままにして愛する人に見せてあげよう、という歌で、人麻呂の感性とその優しさの表れた名歌といってよいですね。実朝は万葉集を読み、この人麻呂の歌を当然に知っていたに違いありません。人麻呂の恋の歌を、武人の凛々しい姿の上に投射したわけです。柿本人麻呂から源実朝へ、そして実朝から芭蕉へと、言葉がつながっていく面白さをそこに見出すことができます。
  5. 言葉の文化とコンピュータ
     俳句も短歌も言葉の文化です。随分昔のことですが、俳句の趣味の会に機会があって参加したことがあり、たまたま、日本文学を専門とされる大学の先生の講演がありました。その話のポイントは、言葉を大事にしなさい、興味深い言葉があったらメモをしておきなさい、その言葉をいろいろ調べて、それまでの俳句や短歌に用いられていなかったか、調べていきなさい、ということでした。メモを取り、記憶していくこと、その言葉を介して秀句、名歌のつながりを発見していくことは、なかなか大変なことなのですが、最近ではコンピュータ・システムが発展して、グーグルなどを活用すると、ある言葉がそれまでの著名な俳句や短歌にどのように使われたか、一瞬にして調べることができるようになりました。俳句も短歌も言葉の文化なのですが、コンンピュータがそうした言葉の記録、分析、組合わせを高度・複雑にできるようになると、そのコンピュータを活用して発句したり、作歌することも可能となることでしょう。その先にはコンピュータが自動的に俳句や短歌を創作することも予測できることです。そうした時代における俳句・短歌の趣味というものを、はたしてどのように考えるべきなのでしょうか。
(平成29年6月1日記)

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