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知財論趣

知財論趣
関税収入と不平等条約改正
弁理士 石井 正
  1. 環太平洋パートナーシップ協定と関税問題
     いつの時代でも税を徴収することは容易なことではありません。厳しく徴収すれば怨嗟の声が返ってくるし、緩くすれば誰も払わないものです。そうしたなかでもっとも徴収が容易でしかも怨嗟の声が出にくいのが貿易に伴う関税収入です。関税であれば、人々は税金を徴収されていると感じにくいし、しかも限られた港でしか貿易を許容しないとすれば、関税の徴収は容易です。もちろん密貿易はいつでも少しはあったでしょうが、それはそれで厳しく取り締まればよいのです。なにしろ取り締まっても人々から批判の声は出てこないからです。そこに国内産業の保護という政策目的が加わると、さらに関税は高くなっていきます。ちなみに環太平洋パートナーシップ協定(TPP)では、農水産物、工業製品すべての品目9018品目について、最終的には95.1%の品目について関税が撤廃されることとなりますが、画期的なことです。
  2. 英国の専売特許条例
     17世紀英国において近代特許制度が作られた要因の一つにこの関税問題があることは意外と注目されていません。16世紀英国王室の財政はまさにこの関税収入に依存していました。ところが当時は輸入超過が深刻な問題となっていたのです。石鹸からピンからガラスなどなんでも大陸から輸入していました。これを解決することが急がれ、このため大陸からの職人の招聘をはかり、これらに英国内で独占的に営業することができる特許権を発行したのです。
     この政策は的を射たものといってよいもので、実際に大陸からの輸入は減少していったのです。ここまではよいのですが、これに困ったのが王室財政部門です。輸入が減れば、輸入関税収入も減少します。その減少分を、こんどは付与する特許権を有料化することで対処したのです。有料特許権とするとともに、その特許権付与の条件としての新技術とか大陸からの職人であるとかの条件をなくし、ただ王室財政のためということだけにしたのです。このために特許権を与えられた業者の商品は値上がりし、これが英国中で批判の的となっていきました。そこで王室が勝手に有料特許権を付与することを禁止するために議会で制定したのが専売特許条例でした。春秋の筆法をもってすれば、関税収入減少が近代特許制度を作ったと言えるでしょう。
  3. 米国の関税収入
     関税が徴収しやすいこと、だから国家財政も関税に依存しやすいという点では、独立したばかりの米国も同じでした。独立した直後の1800年には連邦政府の歳入総額が1084万ドルであったのに対し、関税収入が908万ドルでした。9割以上が関税収入であったわけです。その後も1830年では2484万ドルの歳入総額に対して関税が2192万ドル、日本が明治開国する前の1860年でも歳入総額が5606万ドルに対して、関税収入が5318万ドルであって、95%近くを関税収入が占めているという状況でした。米国連邦政府がこれだけの関税収入を得ることができたのも、関税率が高かったからで、当時はすべての輸入品に対しておよそ20%から30%の関税がかけられていました。
  4. 不平等条約
     さて問題は明治開国後の明治新政府と不平等条約の問題です。幕末に取り交わされた条約では、関税は日本側で決めることができないというものでした。実際には関税はわずかに5%でした。対する米国が20%から30%の高関税を課し、それによって国家歳入の90%以上を依存しているにもかかわらず、日本には関税は5%という低水準を求めたのでした。さすがに米国はその不合理性を認めたようで、1878(明治11)年には関税自主権を認めました。もっとも他の国、例えば英国が同じ条約を結ぶことが条件であったのです。英国は産業革命を他国に先駆けて進めましたから、その産業の国際競争力は極めて高かったため、関税率は低めにしておいて、自由貿易を進めるほうが良いのです。だから英国関税は低いものでした。
  5. その解決
     明治日本は関税収入がなくて、国家歳入が少ないとなれば、どのように国の事業を進めることができるのでしょうか。関税収入に代わる国家歳入を確保するより他に策はありません。その一つが地租による税の確保であり、また産業としては絹によって海外から貴重な外貨を得ることでした。しかし関税収入があればさらによく、その関税を自ら決定できることが明治政府の悲願であったのです。さいわいその後、英国がそのアジア政策にもとづき条約改正に理解を深め、日英間の条約により不平等条約が改正されました。これが他の先進国との条約にすべて反映されていったのです。英国を説得するにあたり、知的財産の保護=外国人への特許の付与、外国人の著作権保護が鍵でした。そこに明治政府トップの慧眼が想像できるのです。
(平成28年6月1日記)

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