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知財論趣

知財論趣
インスリンの発明と特許
弁理士 石井 正
  1. インスリンの発明
     糖尿病の決定的治療薬ともいえるインスリンは、1921年から22年にカナダのトロント大学で発明されました。ちなみにこのインスリン(insulin)はラテン語の「島」(insula)に由来しています。インスリンの発明により、それまで不治の病とされた糖尿病の治療は大きく変わったのです。糖尿病の患者がインスリンによって、高齢まで通常人と同じように生活していくことができるようになったことは大きな医学上の進歩でした。この偉大な功績をたたえて、23年にはノーベル賞がバンティング、マクラウドの両名に授与されました。偉大な発明にはしばしば多くの考えるべき問題が発生するのですが、このインスリンの発明もまた同じような問題が発生しています。
  2. 功績者は誰か
     まずインスリン発明の功績は誰かと言う問題が出てきました。ノーベル賞の受賞はバンティングとマクラウドの両名であったのですが、バンティングはこの決定に不満で、彼の賞金の半分を一緒に努力した助手のベストに分かち合うと発表したし、他方、マクラウドは膵臓からの抽出物の改良に貢献した生化学者コリップに彼の賞金の半分を分けるつもりであると発表したのです。そもそもバンティングは、マクラウドがノーベル賞を受賞すること自体に大きな不満を感じていたのです。
  3. インスリンの特許問題
     もう一つがインスリンの特許問題でした。1921年夏、バンティングとベストは膵管を縛り、膵液が流れないようにしたテリヤ犬の膵臓を取り出し、その膵臓を薄片にしてそこから抽出物を取り出す実験をします。次に膵管を縛ったテリヤ犬の糖代謝を調べ、膵臓からの抽出物を注射したときの効果を確認したのです。これが糖尿病とインスリンの関係の発見につながったのです。こうしたバンティングとベストの研究成果は21年から22年に発表され、関係者に知られていきます。生化学者のコリップもチームに入り、膵臓からの抽出物の抽出方法の改良に努力していったのです。インスリンの発見とその効用が知られるにつれ、それを特許にしておいた方がよいのではないかという意見がトロント大学の関係者の間で議論されはじめます。
     1922年4月12日、バンティング、ベスト、コリップ他は連名でトロント大学学長に文書を提出しました。その内容は、医師でない門外漢のベストとコリップの名前で、インスリンの特許を取得したいとする文書であったのです。それまでにトロント大学の多くの関係者がバンティングに対して、インスリンに関して特許を取得するように説得してきたのですが、バンティングはそれに一貫して反対してきたのです。医学に関わる発見や発明は特許とするべきでないこと、ましてや医者は特許に係るべきではないと言う強い主張があったのです。この文書はそうした特許取得に反対するバンティングを説得した結果しての文書でありました。
     だからこの文書ではこう言います。
    「この特許は他人に特許を先に取らせないようにする以外は目的にしない。抽出法の詳細が公表されれば、誰が抽出物を作ろうと自由であるが、利益を得るために独占権を取得することは許されない。」
  4. イーライ・リリー社の参入
     しかし企業はそれを放っておくことはしません。米国イーライ・リリー社はとりわけ熱心で、トロント大学と交渉を進めたのです。5月30日に契約が成立し、臨床治療実験段階ではリリー社は最初、無料で、その後は原価で抽出物を提供すること、改良技術が特許となったときには米国以外の地域ではトロント大学と共有すること、またリリー社の受け持ちは米国、中米・南米に限ることも合意されました。
  5. 特許になるまでの紆余曲折
     1923年1月23日に米国特許が認められました。実は特許になるまでは、紆余曲折があったのです。出願の際に表記された発明者が問題となりました。当初、出願の際の発明者はベストとコリップとしたのですが、これでは発明者偽証の嫌疑が出てくる可能性があると言う弁護士からの問題指摘があったのです。そこで、それまでバンティングが発明者になることを拒否していたのをあえて説得して、発明者にバンティングを含めるように修正しました。次にこうした体内から抽出したインスリンを医薬とすることの特許法上の課題です。これにはインスリンにより劇的に回復し元気になった少女エリザベス・ヒューズの父親、すなわち最高裁判所長官チャールズ・E・ヒューズが登場します。弁護士達は、彼に特許庁長官宛の手紙を書くように頼んだのです。インスリンの効果で娘は劇的に回復したこと、そのインスリンが特許出願されているという事実が手紙には書かれていました。それが効を奏したのか、発明者修正などというまことに厄介な問題があったにもかかわらず、短期間に特許されたのです。
  6. インスリンの職務発明問題
     このインスリンの発明にはもう一つ、考えるべき点がありました。それは発明者へ特許から生まれる利益をどれほど還元するかという問題です。中心となる研究者であり発明者であったバンティングはそもそも特許権には全く関心がなく、むしろ特許を取得することに反対していました。それを説得してトロント大学として特許を取得した経緯があります。大学には企業と同じように研究者が大学の研究過程において発明を生み出し、特許を取得した場合の権利移転に関わるルールがあったのです。このルールがインスリンの場合にも適用されました。バンティング、ベスト、コリップの発明者3名はそれぞれトロント大学から特許権の報酬として1ドルが与えられました。もちろんトロント大学が多くの企業から得た特許料は膨大なものであったのですが、3人には全く不満はなかったようです。なにしろ最大貢献者のバンティングが特許取得に反対した程なのですから。
(平成26年5月1日記)

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