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知財論趣

知財論趣
特許制度の設計目的
弁理士 石井 正
  1. 特許法は人工的な法制度
     特許法は典型的な人工的法制度と言ってよい。人が社会を構成し、社会を発展させるために必要であると考えて作り上げた人工的な財産制度である。財産制度の典型は物の所有に関わるものであるが、これはまことに自然なことで、最初にある物を手にした者はその物についての所有権を有するなどということは、誰しも当たり前に考える。ところが人工的法制度である特許法はそうはいかない。物と異なって、アイデアを一定期間とはいえ、所有できるなどとは自然には考えない。
     そうした人工的法制度は常に法の目的、その歴史を理解しておかないと本質を誤ることとなりかねない。幸いなことに特許法にはその第1条に法の目的が明記されてある。「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする」とある。
     要するに発明に対して、特許権という財産権を付与することにより、発明を保護するとともにその利用も推進できること、そうであれば発明を生み出す努力に対してインセンティブを与え、産業全体が発達していくと考えた訳である。
     だが歴史を振り返ったとき、それぞれの国は特許権をこうした目的で付与していたのだろうか。特許制度の設計目的は必ずしも一様ではなく、さまざまであった。それを見ていくこととしよう。
  2. 外国技術の導入目的型
     国が異なれば技術の水準も異なる場合が多い。自国の技術の水準が低くて、他国の技術水準が高いとなれば、なんとしてもその他国の技術を導入したいと政策的に考えることは当然である。新技術を創作=アイデアとしてまとめたものが発明であるから、その発明を保護することとして、他国の技術を導入しようということは考えられる。
     15世紀のヴェネツィア、16世紀、17世紀の英国がそうであった。ヴェネツィアの場合、フィレンツェやミラノなどと比べると技術水準が明らかに低かった。それまでのアドリア海を利用しての貿易国家から加工貿易国家に変わることが要請されていたヴェネツィア共和国にとって、こうした先進地域の職人たちをヴェネツィアに招聘することは大きな課題であった。
     1474年ヴェネツィア特許法では、「本市において新規にして独創的な機械を作り上げた者」はその発明について10年間、独占利用できるとしている。大事なことは「本市において新規である」ということであって、他の国では既に知られていてもヴェネツィアでは新規ならば、特許するという制度設計であった。
     英国も同じようなものであった。当時の技術先進国であったイタリア、オランダ、フランスと比べるとはっきりと技術後進国であった。なにしろ主要な日用品、工業製品は大陸から輸入していた。石鹸、ガラス、金属製品、高度に染織された布製品等々。こうした輸入依存をいかにして国産していくかが当時の大きな課題であった。
     1624年専売特許条例では、その第4条、第5条では、「この王国内の新しい製造方法による加工または製造に関して、その最初かつ真正の発明者に」与えられる特許としている。ヴェネツィアでも英国でもその国において新規な発明について特許を与えるとしていることであった。この考えは、のちに輸入特許制度となっていった。
  3. 発明の奨励目的型
     米国特許法は1790年にスタートした。この1790年米国特許法の原案には英国と同様に輸入特許制度が盛り込まれていた。それを主張したのが初代大統領のワシントンであった。彼はヨーロッパと比べて独立後間もない米国は欧州の新技術が必要である、そうであればそうした新技術を知る者を米国は必要とし、それに特許を与えるべきであると主張し、特許法に輸入特許制度の規定を盛り込むよう指示したのであった。
     ところがフランス駐在の米国公使で、国務長官として帰国したトーマス・ジェファーソンがその輸入特許制度に反対した。この結果、1790年法では、輸入特許制度はなんら見出すことはできない。
     おなじことは明治日本の専売特許条例にも見出される。当初の元老院での審議原案では、「専売特許願出前本邦ニ於テ公二用ヒラレ」たものは特許できないとしていた。これは輸入特許の可能性を示すものであるが、これがその後の審議では、「他人ノ既ニ発明シタルモノ」は特許できないと修正された。
     たとえ外国との間に技術的な格差あったとしても、外国の技術を自国に導入する為に、特許権を付与するべきではないとした主張が政府部内に多かったためである。特許はあくまでも国内において発明を生み出すように奨励する為に付与されること、これが制度目的とされたのであった。
  4. 思想に関する財産権目的型
     フランスは革命前までは、ヴェネツィアや英国と同じように外国の技術や新技術をフランス国内に導入し、普及させる為に特許を利用した。単に独占的利用とだけではなしに、資金的援助も特許権者に与えた。その代わり特許権者は彼の発明がフランス国内で幅広く利用されるよう教育指導までを求められた。
     それが革命で一変した。すべての特権が廃止されるなか、特許もはたして旧来からの特権のひとつとして理解するべきか、あるいは科学や技術の進歩を推進するための重要な政策として理解するべきか、議論された。
     そこから生まれて来た思想が、発明や著作物は人が産み出した崇高な創作物であって、それは人が固有に有する財産なのだという思想であった。1791年フランス特許法の起草者であるボウフルは「凡そソ人身ニ属スル諸権利ノ中、其思想ニ対スル権利ノ如ク確実ナルモノハアラス」(清瀬一郎「特許法原理」学術選書)という。
  5. 資本の導入目的型
     19世紀のロシアに代表される欧州の後発国は、技術も遅れていたが資本力もなく、工場や機械設備等々がすべて脆弱であった。先進国に追いついて行くためには、単に技術を導入するだけではなしに、工場を作り、鉄道を建設していくことが急がれた。しかし英国、フランスなどの資本家達は、鉄道建設、工場建設に関連して、様々な制度保証を求めた。その一つが特許であった。工場や鉄道の建設に関連して、新技術を独占的に利用する制度が求められた。先進国の資本家はそうした制度、すなわち特許制度がなければ、資本の移転はできないと主張した。
     ロシアはそれに応えた。1833年に特許制度を創設したが、その時代のロシアは農業社会の典型であった。とうてい自国において発明が生まれるような環境になかったが、外国人への特許が技術と資本の導入に寄与すると考えての制度設計であった。
  6. 国際ルール対応目的型
     TRIPS協定は1995年に発効し、先進国は1996年に、途上国は2000年に、そして後発途上国は2006年に協定のルールに従うこととなった。この協定においては、これまでの産業財産権に関する国際条約であるパリ条約と異なり、協定違反国に対しては制裁措置が用意されている。パリ条約においては条約の求めるルールに違反しても制裁はないが、TRIPS協定の場合には違反国は自由貿易を享受できないという制裁を受ける。したがって自由貿易の枠組みのなかで国の発展を望むためには、TRIPS協定を満たす特許制度を設計しなければならない。
(平成24年1月4日記)

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