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知財論趣

知財論趣
発明者に指名される特許弁護士
−ツォリキンやショックレーの例−
弁理士 深見 久郎
  1. (1) 平成19年4月に、大阪工業大学知的財産学部長 石井正教授を講師にお招きし全所員を対象に、「歴史のなかの知的財産−近代産業社会と特許制度」と題して所内講演会を開催した。
    石井教授はこの講演で、英国、米国、ドイツ、日本において特許制度がどのような背景の中、生まれて発展してきたかを、詳しく解説され、それによって現代の制度の基本骨格の理解に導いて下さった。石井教授は知的財産制度の歴史の研究で第一人者のお一人であられるだけに、深く掘り下げて研究されていて、薀蓄のあるところを情熱的に披露下さり、所員全員多大の感銘を受けた。
  2. (2) 石井教授のようなご高名の先生とお近づきさせて頂くまたとない好機として当日講演会後先生には弁理士グループリーダを含む懇親会にもご参加頂いた。
    当日は懇親会の間、技術開発とその保護、活用に話題が集中した。
    話題の1つとして先生は米国、RCA社における技術開発、特許取得、ライセンス契約と事業展開、事業発展との関係についてつぎのことを述べられた。
    RCA社はもともとGE社から分離した会社で、ラジオ、白黒テレビ、カラーテレビを他社に先んじて開発し、世界の弱電機メーカーの最大手となった。技術開発、特許取得、ライセンスの能力に優れ、多額のロイヤルティ収入を得た。しかし、製品製造技術を疎かにし遅れをとり、販売競争で負け市場から消えていった。
  3. (3) 上記の経緯に拘らず、RCA社の技術開発、特許取得には学ぶものがあった。これに関して私は次の話を紹介した。
    RCA社の特許取得、ライセンス契約の全盛の頃、つまり昭和30年代、40年代に、日本のラジオ、テレビメーカー各社は日本電子機械工業会の中に外国特許対策委員会を作り、RCA社とライセンス契約更新の団体交渉をしていた。その委員長を三洋電機(株)取締役特許部長小津英夫氏が長く務められた。
    かなり後になって、恐らく私の事務所開設後、小津氏と会う機会があったとき回顧談として小津氏からつぎのことを伺った。小津氏がかつて上記外国特許対策委員会委員長をしていた頃、RCA社特許担当者から聞いたところでは、RCA社は国内外の特許出願手続、中間手続において複数の特許弁護士の合議でクレーム作成を行ない乍ら強い特許網を構築したとのことである。
  4. (4) これを受けて石井先生からつぎの2つの話が紹介された。
    • 4−1.ツォリキンによる特許弁護士の指名
      ツォリキンは1933年RCA社においてアイコノスコープを発明し電子式送電方式のテレビを実現し、一大革新をもたらした。ツォリキンはその特許出願に関し、有能な特許弁護士の調査を行ない彼にその出願を依頼したとのことである。
    • 4−2.ショックレーによるBell研最高の特許弁護士の指名
      バーディン、ブラティンにより点接触型トランジスタが発表されたのに触発され、ショックレーによりpn接合理論、ついで成長接合トランジスタの試作が発表された。ショックレーは特許出願手続に際し、ベル研内の最高能力の特許弁護士を調べ彼に出願を依頼したとのことである。
  5. (5) 当事務所ではグループリーダを頂点にサブグループリーダや熟練者が指導教官となり、出願・中間の実務についてOJTで中修者、初修者に指導、監督が行なわれ、明細書、クレームの作成実務の伝授が行なわれながら、出願、中間の業務が遂行され、業務品質が管理されている。そして或るレベルで独立的業務遂行が容認される。そして当事務所では原則として独立的業務遂行の容認後は各担当者により独立的に業務が遂行され、鑑定業務など複雑業務において複数弁理士による合議が行なわれるに留まる。
    一方で当所で取扱われる事件の中には世紀の大発明になるものも含まれている可能性がある。事実、重要発明の指定のもとに依頼を受ける事件も含まれる。
    独立的業務遂行を原則としながらも、当事務所のすべての事件について、とりわけ重要発明の指定のものについて、各担当者はツォリキンやショックレーが指名した特許弁護士に負けない業務品質が達成される努力やRCA社の合議制の努力を期待したい。
(平成19年6月4日記)

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